裸婦の目触れろ、白蝮踏め

安酒と薬にどっぷり漬かってラリりながら書いてるオナニー文章です

願いと別れとやせ我慢

最愛の彼氏にフラれた。

ガチ恋とも言っていた伊藤隼太阪神をクビになった矢先のことだったので、本気で頭が追い付いていない。
昨日の診察とカウンセリングで、太りすぎたことが理由のひとつにあると言われたと言ったら、二人揃って「はぁ!?彼女にそんなこと言う!?」と驚かれた。「それ絶対本当の理由じゃないよ、理由になってない」とも言われた。

「もう彼女と思われてもないんですよ」と笑って済ませるつもりが、一度に涙が溢れてきて、散々大泣きして、「それでも絶対帰って来てほしい。あれだけ時間もお金も才能も使ってきて、残ったのがいとおしくて仕方なさそうにぼくの名前を呼ぶあの声ひとつなんて苦しすぎる」と言い残して帰ってきた。

ある一定の感情のレベルを越えると、泣きながら左手首を引っ掻く癖がある。
爪が食い込んだ生白い肌は、血がにじんで凸凹にみみず腫ができていた。

幸い心理士さんの目の前で彼氏に別れを告げられるのは2度目(推し看に告ってフラれた時をいれれば3回目)なので、暴れもせずじっとすすり泣いているだけのぼくを入院させようとは流石にしなかった。

ただただ、泣いているぼくをじっと見て、「辛いし苦しいね。自分のせいって思う反面、どうしてれば正解やったんやって思うのも当然やと思う。あれだけ尽くしてきたんやもん、周りに通い妻かよって笑われるくらいやってきたんやから、いろんな感情ぐちゃぐちゃになるのも当たり前。いい、いい。当然やねんで」と優しく声をかけてくれた。
散々泣きじゃくってる姿を見せたのに、カウンセリングが終わって病棟に戻るとき、しっかり涙を引かせて呼吸を整え直したぼくを見て、「すごい切り替えやね」と笑って済ましてくれた。

なんでこんなに傾聴の能力に富んでいて優しくて面白い心理士さんじゃなくて、頑張って話を聞くくらいしかできなくて、なんも気の聞いたことも言えなくて、顔もかっこいいわけじゃない推し看を3年間も好きになったのか。
その推し看にフラれて正気を保っていられたのも、これまた話聞くことすらできない、悩みとか相談するどころかぼくが一緒にいてしんどくなるような彼氏がいたからで。すっごい手がかかるし、すっごい物わかり悪いし、すっごいめんどくさいけど、出会ってから1年世界で一番大好きで。

結局コロナで行けなかったけど一緒に旅行行きたいねって言って、すぐに夜仕事ある日なのに朝から遠い遠い山の中のぼくの実家まで挨拶に来てくれて、パパともすぐに打ち解けて、せっかくちょっと仲良くなったのに、ぼくがバイト帰り「家に帰りたくない」って彼の家に引きこもったら、そのパパに慣れない長文の抗議文送って嫌われてくれて、本当に将来考えられるのはこの人しかいないって確信した。

だから嫌なんだよ。
彼自身でぼくより好きな人を見つけてフラれるなら(嫌だけど)まだいい。
ぼく自身で嫌われる原因をつくって、それで勝手に嫌われてフラれるのは本当に嫌だ。後悔したくないので。

心理士さんにも主治医にも、「ろくでもないやつ、辛いのはわかるから別れて正解とは言えんけど、いつかこうなるのは分かってた」って言われたけど、ぼくは彼しか愛せる自信がない。
隼太といい髙山といい、ダメ男が好きな訳ではないけど、今は彼以外見えない。
ぼくのことを好きだと言ってくれている人もいるし、本当は彼よりもいい男は世の中に目一杯いて、落ち着いたらそれにも目は向けられるんだろうけど、少なくとも今は無理だ。

そこで、彼に(そのつもりは始めからないのかもしれないが)約束を取り付けた。

2/2、ぼくの誕生日に会ってもらうこと。
それまで、気分で若い子とセックスしたくなったら呼んでもいいけど、あくまで「お友達」としてお互い自由でいること。
そのときまでに、痩せて綺麗な姿に戻ること。
もう金輪際、彼に「死にたい」とせがまないこと。(Twitterではちょっと言うかもしれないけど実行しないように頑張ります)
ちゃんとしたアルバイトをして、浪人生なりに生活を立て直すこと。

その日彼のお眼鏡に叶う女性に再びなれていたら、もう一度付き合ってほしいと。


カッコ悪いな、と自分でも思います。
でも、もうこうするしか彼が戻ってくるかもしれない方法はないと思うので。
具体的な目標体重や、貯金の目標額はここでは言いません。Twitterを見てください。
あと、つらくて心が折れそうなとき、「貰ってください」と愚痴るかもしれません。でも、2/2以降(もしくはそれ以前に彼にぼく以上に愛せる人ができたといわれたとき)正式にお別れしたと宣言するまでは全く本気じゃありません。
気持ち悪いリプライやDMは思い止まってください。

一瞬彼氏彼女じゃなくなりますが、ぼくはまだ付き合ってるくらいの気持ちで頑張ります。隣にいて恥ずかしくさせない、誇りに思ってもらえる彼女になります。


チャリ行ってきます!

隼太よ永遠なれ

岡﨑太一選手、伊藤隼太選手、高野圭佑選手、横山雄哉選手、福永春吾選手に対して、来季の契約を結ばないことを伝えましたのでお知らせします。-11/4 阪神タイガース公式Twitterアカウント


ついにこのときがやってきてしまった。

大好きだった隼太。
ここ2年、1軍での出場はなし。
2軍でも正直、ぱっとしない成績。
2011年ドラフト1位、慶應大卒で満を持してタイガースにやってきた当初の期待からは、かけ離れてしまっていた。
ぼくが阪神ファンになった頃、まだ知らないけどすでにいた選手。金本時代の1軍ヒーロー。唯一の活躍時期。そう考えると、当然ぼくの周囲でも常にクビが囁かれている選手だった。
今年の夏はまだ2軍とはいえ出場ができていて、打点も中の下くらいは取っていたので、Twitterの隼太クビにしろツイートもネタとして捉えられていた。ぼくの周りの隼太推しも、このときまではまだ穏やかだった。
しかし、夏が過ぎ、球界コロナ第二波で1軍に17枠もの空きが出たにもかかわらず隼太が1軍登録されることはなく、それどころか2軍ですら出場が途切れ途切れになっていた。戦力外通告の時期が近づくにつれ、周囲の隼太推しも隼太がクビになりかけているというのを現実視しだしたのか、過剰に隼太クビツイートをするアカウントをブロックした、という人が増えてきた。

守備が下手なので代打での出場が多く、ぼくが数回隼太が出た試合を現地で観戦したときもだいたいが代打だったが、それでも出場したときにはちゃんと結果を残してくれる、「独壇場」できる選手だった。
金本阪神の歴史のなかで最も期待され、最も勝ちに貢献してきた選手の一人だったはずだ。

うち一回はタイムリーヒットでヒーローの称号を手にしたとき、たぶんここからぼくの隼太へのガチ恋が始まった。高校1年生。アルバイトを始めて経済的に余裕ができ、初めて家族に連れられず自分の意思で甲子園のライトスタンドに着席した日のことだった。試合の帰りにショップアルプスで購入したユニフォーム。父に買ってもらった髙山俊のユニフォームについで二人目の購入。自分のバイト代ではじめての大きな買い物だった。
彼のユニフォームはやがてすぐに応援歌が入った刺繍ユニと化し、週4日連続の現地参戦のお供となった。
余談だが、ぼくが香水にハマりだしたのもこれがきっかけで、週に何度も着用するユニフォームを洗いで傷めたりしないで着れるようにというのが始まりだった。

そして、隼太が1軍にまだいた頃、ぼくはカメラを買った。2,3万で入門機が手に入るというのに、わざわざ親に借金をしてまで動体に強いEOS7DMK2を買い、sigmaの望遠レンズを着けた。25万の買い物。
隼太はその後すぐに2軍落ちしてしまったが、真夏の鳴尾浜まで弟(ドリス推し)を連れて追いかけてシャッターを切りまくった。
剣道をやめて鈍っていた腕に突然3kgの物体が長時間のしかかるというのは体力的に相当辛いものがあったが、それでも何度も通ってはベストショットを探した。
勇気がなくてトークショーのチャリオクでしか接触はできなかったし、周囲の他の隼太推しの面子と違って勿論認知もされていないが、それでもずっと遠目で追いかけてきた。隼太がTwitterInstagramを始めたらすぐにフォローしたし、唯一投稿通知をONにしているユーザーである。

まだ本人はSNSで通告に対するコメントをアップしていないが、奥さんも子供さんもいらっしゃるようだし今回の戦力外通告は相当堪えたと思う。
慶應時代、あるいはもっと前から「努力の人」だった隼太が、自分に期待してドラ一で取ってくれた球団に対して結果を残せず10年近い時が経ち、やがて周囲にクビにしろとうるさく批判され、オワタという蔑称をつけられ、そしてついに手放されてしまう。それが本人にとってどれほど痛ましい出来事か、ぼくには想像もつかないほどだと予測できる。

隼太が今年クビになったら、隼太と契約した新しい球団にでも追いかけて行くつもりだったが、プロ野球の中では取ってくれる球団もいないだろうというのがファンの中での専らの噂だ。トライアウトも今の成績ではあまり期待できない。
社会人野球でも野球を続けてくれるならぼくはついていくつもりだが、その球団の本拠地が関西であるとは限らない。もし遠方の球団に引き取られていったら、もう隼太のプレイを観に行ける機会もなくなってしまうだろう。
それでもひそかに応援し続けることはできるが、隼太が潔く野球をやめるのなら、ぼくも10年近く続けてきた阪神ファンプロ野球ファンを上がろうと思う。
髙山俊くん、植田海くんが推しとして阪神にまだ残っているが、隼太の存在の大きさにはやはり勝てない。それくらい本当に好きだった。


「好きだーーーーーーーー!!!!!!!!!」ライトスタンドから、声が枯れるくらい、隣のおっさんにドン引きされるくらい全力で叫んだ。
酒なんて一滴も入ってないのに、酔っぱらってるのかってくらい死ぬ気で応援した。隼太がスタメン入りしたと発表があれば、先輩と学校帰りに当日券取ってまで行った。


わかってる。
自分が首を切られたからといって、自分をきっかけに阪神を応援し始めた人がファンをやめるなんて、隼太は望んでなんかないだろう。
でも、ドラフトで有力な選手が何人阪神に入団しようが、隼太を推すことをやめられない。それが、51ノットイコールイチロー、51イコール隼太の概念が脳味噌に焼き付けられた隼太推しの運命だ。球場の同じ空間で何度も「独壇場」してきたファンの意思だ。


隼太はこれから先の「独壇場」の場として、どこを選択するのだろうか。
(プロアマ問わず)球界?OB?指導者?それとも、

今は、隼太本人からの発信をただ待つしかない。

春から山田多浪19歳です!

やっぱり今年は体調を戻すのと共通テストの問題傾向の様子見ということで卒業単位の取得を見据えてゆっくり勉強して、高校3年間の範囲を4ヶ月かけて全部終えるようにしたうえで、卒業後浪人生として4月からの新学期1講座ずつ集団指導の予備校に通いたいと思ってます。

だいたいどこの校舎でも1講座でも取ってたら自習室の使用とかチューターの先生への質問なんかもできるので、うまく活用しながら夏まで凌いで、夏期講習以降科目増やして追い込みかけるような感じです。

でも夏期講習や冬期講習に直前講座、やっぱり来年10月くらいになるととる講座も増えて受講の費用も上がっていくので、1年間受けると100万近くは必要になります。
卒業後は自由なのでアルバイトで学費をためながら勉強していくことも考えたのですが、幸い周りに多浪生が何人かいて、相談もさせてもらったところ、その人たちいわくバイトしながら勉強しようとしてもどうしても他人と関わるバイトが優先になってしまい、それに甘えて勉強しなくなってしまって、1年間予備校に通っても結局ついていけないだけで終わってまた1年を棒に振ることになってしまうので絶対におすすめはしない、浪数を増やすだけだとアドバイスされたので、アルバイトをしながら、あるいは一旦高卒で就職して働きながらというのは国公立志望としては無理だと判断しました。なので、親のフォローが不可欠です。
こういう言い方も変なのですが、大学受験を経験していない父と母が私に支援できることと言ったら資金面しかないので。

結果を出すことでしか返せないのが歯がゆいのですが、来年絶対大阪市立大学の文学部か、1年のモラトリアムを与えてもらったという引け目で高望みするなら体調を崩す前志望していた神戸大学の発達コミュニティまで受かるくらいの実力をつけてくるからそれまで投資してほしいと頼みました。
また、合格したらかかる入学金や授業料のことも合格する前から考えていないといけない家庭なので、授業料は貸付型の奨学金を借りて、公務員試験に通ってから自分で返す、奨学金が出ない入学金までだけ支払ってほしいと父に言いました。
その代わり、もうしかるべき機会まで家を出たいということは言わないし、(市立大ではなく神戸大学に進学できたら遠いので当然引っ越すことになりますが、去年の未遂が親にとっても相当トラウマらしく、このままいけば就職するまで、勤務地によっては結婚するまで実家暮らしになります)家を出るまでは親に養ってもらっている身だということを自覚して生きるようにすると。

問題は母なのですが、数年前から入院中以外ずっと仲が悪く、この問題についても父としか相談できていません。
お金を管理しているのは母ですし、そもそも父だけの稼ぎの中から予備校代を月に何万も払うことはとてもできないので、なんとか母にもきちんと話したいのですが、全く相手にしてくれません。元来うまくいっていなかった関係が、私が彼氏を家に連れてきて父に紹介したときに母も呼ばなかった、という一件から、本格的に「どうせのけ者扱いですよ」と母が拗ね返ってしまって余計に悪くなった、という感じです。
一時期、家にいて居心地が悪くなったら彼氏の家に行く、ということを繰り返していたこともあって、「あいつと結婚すると言い出すのだけは絶対に認めない」と本気で私と彼氏の関係が気に入らないようです。
話が逸れてしまいました。とにかく母とものすごく仲が悪く、ここ何ヵ月も積極的・好意的な会話をしていません。
その上今は妹も高校受験を控えているのでお金の話をするとうんざりした顔をされます。
妹はあまり成績が芳しくなく、滑り止めに今の高校を受けられた私と違って公立一本で一般受験するみたいです。なので確実に通るところ、と志望校探しに必死で、私の受験なんて「どうせ自分のように高卒でも働けるんだし、大学なんて」と鼻も引っ掻けてくれません。
その妹には「お姉ちゃんは頭よくて高校選び苦労せんでよかったな!」「どうせ私はアホですよー」と嫌味を言われてばかりで、弟にはスタディサプリで勉強するために組んだPCのモニター(勉強机)をゲームで夜じゅう占拠され、完全に家族から浮いています。
今は昼間彼氏(夜勤なので昼間は家で寝ている)の家に勉強をしに行って、夜夕食だけ食べて、睡眠薬を飲んで寝ようとしても眠れなくて、眠れないことに対する愚痴や彼氏、家族の不満をTwitterでツイートしたり、カウンセリングのノートに記したりして、結局夜中の3時ごろ弟が机から離れたくらいの時間に寝て、次の日は一日寝ている、というようなサイクルで生活しています。
この生活態度では当然親も浪人費用を出す気にもならないでしょうし、余計に関係は悪くなる一方です。
入院していたときの優しい家族に戻ってもらいたくて、カウンセリング中何度も病棟に戻りたいと言っていました。「入院する?」と聞かれたら結局「お金ない(のとコロナの関係で今まで看てもらっていた好きな看護師さんのいる病棟に入れない)のでいいです」と答えてしまうのですが。

帰れる家があるのに病院に帰りたいと思ってしまう自分が情けなくて、余計に生きてて申し訳ないと思ってしまって、最近また死にたくなってきました。
でも毎日のように駅の同じ場所で飛び込む電車をうかがって、高いところへ行く度にぐちゃぐちゃになる自分を想像して、山を見る度に誰にも見つからない場所を探して、気持ち悪い色した薬をたくさん飲んで、それでも痛いのは嫌いで死ぬのは怖くて躊躇った結果、また明日が来てしまう。勉強もしてない、なにも成長してないまま、子供のままで体だけ成長して、薬でふらふらになって階段から落ちて、紫色の痣と傷口の血だけがやけに鮮やかで、「また生きてる、また死ねなかった……は、英語で、I have been living today, I couldn't die also today. よし、」って始まる一日がかれこれ100日くらい続いてます。

2浪(1浪1留)すると毎日こんな感じなんですかね?
中3のとき1年生で入ってきた剣道部の後輩たちが私と同い年の扱いになるなんて怖くて仕方ありません。あのときも外部で何年も剣道やってたその子達と何回対戦しても勝てなくて、しょっちゅう職員室前の自販機で紙パックのコーヒー牛乳を奢ってやってたのが思い出されます。

もはやもう聞きたいことがなんだったのかも打ってるうちに忘れてしまいました。
明日は父と朝から釣りに行く約束をしてるので、浪人についてもそのときゆっくり話し合えると思います。
でも、母とどう付き合っていけばいいのか分かりません。たぶん母もIQが単に低いかアスペルガー入ってるんだと思います。まあこんなこと言ったらぶちのめされるので言いませんけど……

理由

お金もなくて 何もなくて
数字だけの才能ひとつ ポケットに入れて飛び出した
それからまもなく まもなくすぎるほどまもなく 数字すら稼げなくなって
ガチャガチャのカプセルの中で 体育座りでただ膝の匂いを嗅ぐ

悪いことはできない
でも善いことをする気にもなれない

生まれて9ヶ月の赤ちゃんですら「自分・相手・その他」の判別がつくと現代文で習った
生まれて19年になるぼくは「自分」以外の対象が見えないでいる 生まれたときから頭がおかしかった

おかしい おかしい
なんで産んだの?なんで生まれたの?
光を知らなければ輝く必要もなかったのに
2週に1回のカウンセリングすら受けられない自分に反吐が出る

「月が綺麗ですね」が「愛しています」になる意味を
新緑がやがて深紅に染まる意味を
博打麻雀が人間界に広まった意味を
ぼくは知って生まれてきてしまったようで

瞳孔に青い光が反射して 鼓膜を遮断機の音がつんざく
このまま一歩 たった一歩踏み出せば
そこに待っているのは楽園だのに


なぜ

セミファイナリスト

ミスiD2021セミファイナリスト選考で落ちることができました。

前のブログでも言っていた通り、ぼくは精神医療の呪縛から解放されたくてミスiDを受け始め、前回はファイナリストまで残してもらえました。
しかし前回は自殺未遂というまさに精神科関連の問題であと一歩賞までたどり着けず、心にわだかまりを残したまま終えることになりました。
そうして、精神医療という粗雑な枠組みからぼくを見つけて救いだしてくれるのはミスiDだけだと思い、リベンジとしてミスiD2021を受けることにしたのです。

カメラテストまで進出できる自信は正直ありました。
しかし、コロナウイルスによるZoomでのオンライン審査で審査時間が1分間ととても短くなってしまい、3分間を前提に作っていたぼくの文章は読めなくなってしまいました。
そこでなにか代わりになる特技を持っていればよかったのですが、ぼくは文章を作って読むという能力しか長けたものは持っていません。著作権上朗読も禁止されていたので、結局ギリギリに中途半端な出来の自作の文章を読むしかありませんでした。

正直このクオリティの自己PRと質疑応答でセミファイナルに行けるとは思っていませんでした。だから、セミファイナリストの発表日のこともすっかり忘れてしまっていました。
前回すでにやったことや言ったことを除くと、もうそのくらいしかやることが残っていなかったのも事実です。驚いたことに、学こそないがそれなりの知識教養と自己を持っていると思っていたぼくですが、ふたを開けてみるとたった1分間自分を表現する能力すらなかったのです。

ぼくはようやくミスiDからも卒業できます。正式には落第と言うべきかもしれませんが、本当はみんな2020のあの授賞式、卒業式でミスiDは卒業していったのですから、ぼくは高校と同じく留年して、一足遅れてミスiDというものから手を引くことができます。

精神科を出て、ずっと戻りたいと思っていたけれどミスiDのことを考えているときだけは精神科のことを忘れられた。
2020で最終審査を受けられなかった悔しさを思い出して、戻ってはいけない場所だと自覚できた。

前回は明らかに精神疾患のせいで失敗したけれど、今回は違う。
単に自分がつまらない人間であったから落とされたのだ。IQ130の言語性ギフテッド、それでいて重度のADHD。高校を留年して、精神科に入院していた。
それ以上の人間としてのキャラクターがなかったから、それを使い古してしまった今それ以上の評価をもらえることがなかったのだ。
現実の自分の実力を見てもらえて、それで落とされた。ようやくミスiDと精神医療(精神疾患)が自分のなかで切り離された。

なんだ、別に病気じゃなくてもうまくいかないもんはいかないんじゃん。
逆に、病気の力や名前を借りてじゃないと評価されない場所で自分がやっていけるとも思えない。


これでよかった。
進んだ人、頑張ってください。
ミスiDセミファイナリストはこちらから見れます。↓
https://miss-id.jp/semifinalist/2021

三種の神器

16日、診察で大学入試共通テストの合理的配慮を申請するための診断書を医師から受け取った。
その診断名は注意欠陥多動性障害(ADHD)……だけではなかった。
自分が今まで「これにだけは」と日々最低ラインとして見ていた、「アスペルガー症候群」が並んでいた。
ぼくは一瞬にして泣きそうになってしまった。精神科に通って3年、はじめての指摘だった。2年入院して今さら初めて診断されるものとは全く思っていなかったので、全くの無防備だった。
幸い、医師いわく「あなたはADHDと、合併した双極性障害の傾向が強く、アスペルガーはあまり目立った障害ではないが、申請用紙の文脈から入試センターが求める回答が‘発達障害区分’での配慮を志願する目的が強かったので、双極性障害による支障があまり強く押し出せなかった。細部へのこだわりの強さや空気を読もうとしすぎて空回りしてしまうところをとってアスペルガーと診断した。自信をもっての回答ではないので」と言ってもらえたが、診断書に書かれてしまったものはまごうことなき自分の障害である。

そこで今までのぼくのステータスに回帰してみる。
衝動性優位のADHD+言語理解高IQ、それに加えて今回のアスペルガーである。


……バケモンではないか。


言語理解能力が異常に高く言葉の裏の裏まで読んでしまう性格で、そのうえ他人の言っていることはよく理解しようとせず自分の我を押し通そうとするこだわりの強さ。加えてキレると何をしでかすかわからない衝動性。
これで何が怖いって、これがボーダー(境界性人格障害)から来ている症状ではないということなのだ。
ボーダーなら薬物療法やカウンセリングでなんとか治療していくことができる。その症状自体が病気だから。その人自体に悪意や他意は全くなくて、病気のせいでその人の人格が歪められていると思えば周囲の人間も我慢して付き合っていくことができる。
しかしぼくの場合は「言われたことを取り込み解釈すること」「その解釈を飛び越えて自分の我を押し通そうとすること」「限界を突破して強行手段にはしること」の担当分野がそれぞれ別々なので、薬で治療しようがない。カウンセリングを受けても2つめまではなんとかなっても、3つめの衝動性に関してはその場にならないとどうしようもない。暴れだしたらもう遅くて、事前に防ぎようもない。手がつけられないキチガイなのだ。
普段は「死にたい」としかいわないので「また言ってんなーこいつ」くらいに捉えられているが、油断すると突拍子もないところで不意なことをきっかけに実行してしまう。
去年の8月の未遂事件もそうだった。あれはたしか、前日まで書いていた体育のレポートに疲れて人生に絶望したという要因が大きかった。
当然人と関わることはできないし、仲良くもなれない。だからこの歳になって対等な友人と呼べる存在はただのひとりもいない。学校に通っていないのも大きな原因のひとつではあるが、幼少期「幼馴染」といえる子と共に通っていたソフトボールのクラブチームも、ハブられて小四で辞めた。
思えば昔から気がつけばなぜか周囲から距離をおかれていたり嫌われている傾向にあった。そのせいか、自分に珍しく寄ってきてくれる奇特な子にはかえってきつく当たってしまうこともあった。
中学の部活動は後輩が慕ってくれて楽しかったが、引退したらそれきりで、高校ではもうスポーツや趣味に励む気力さえ残っていなかった。
人に擦れていないので人生経験や貞操観念というものもうまく育たず、アルバイトも全てやめてそれでも実家を出たくていまは援助交際でちまちまと貯金をためている。
そのお金も衝動的に使ってしまうので、親は「金銭管理ができないから」とぼくを独立させようとはしない。
毒親のもとで育てられたニンゲンの亜種は、今日も明日も明後日も毒親に縛り付けられて、いつかニンゲンになれる日を望んで息をしている。もうニンゲンになどなれないと頭では分かっているのに。

神様はどうしてぼくみたいなドハズレを生み出したのだろうか?
ADHD+言語理解高IQ+アスペルガーなんて、普通の神経してたら考えつかないほどの仕打ちだ。きっと神様もお遊びで博打打ってつくったに違いない。

ところで最近、「完全自殺マニュアル」が手放せない。死のう死のうと思っていても、これを読むと怖くて死ねなくなるのだ。薬も用意できるし、首を吊る道具だってある。さっき言った衝動性さえついてくれれば、電車にはねられて憎い親を賠償金地獄にすることもできる。
けれどなぜかこれを読むと息が止まるのが、心臓が止まるのが怖くていつか自然に死ねる日も来てほしくなくなる。
「死のうと思えばこんなに簡単に死ねる。だから今日はとりあえず生きてみよう。それでだめなら明日死ねばいい」というようなコンセプトで書かれたはずのこの著書だが、ぼくには思わぬ抑止力となった。

さて、うまく生きることもできず死ぬこともできなくなってしまった。
明日はどんな不幸が待っているのだろう。もはや楽しみで仕方がない。

感傷中毒の患者

車窓から外を眺めながら大和朝倉ゆきの区間準急に揺られ、途中の某駅まで。
いつもの帰り道だ。
どこへ向かった帰りもここを通って帰る。
しかしその日は違った。
本町駅から発車してまもなく、夜の景色に浮かぶある施設の蛍光灯が、やけに眩しく見えていることに気がついたのだ。

大阪赤十字病院

ところどころブラインドで遮られた、そっけないただの蛍光灯。
白い天井が少しだけ窓枠に切り取られて見えている。
なかでは夜勤の医師や看護師たちがナースコールにあわただしく対応していることだろう。

そんな大きな総合病院。
そこがぼくにはユートピアのような、ガンダーラのような、魅惑的な場所に見えていたのだ。
そこかしこでナースコールが響き渡り、看護師たちの足音で病の囁きがかき消される。どこを向いても真っ白な壁と対峙させられる。

絶望した。
一刻も早く「病院」、とくに「入院病棟」「精神科」の呪縛から解き放たれたかった。
看護師との恋愛問題が解決されて、ようやくそれが叶ったように見えた。

なのに、大阪赤十字病院のその明かりがぼくの目の前にちかちかと灯り、こうこうと命を燃やすのだ。

これは憧れか?あこがれなのか?
またそこで暮らしたいという感情のあらわれなのか?
ともすれば、ぼくがいくら現状の家族や生活に不満があるとすれども、完全に病棟生活からは抜け出でられてないということになる。

もはやぼくにもわからない。
なぜこんなにもこの総合病院の蛍光灯がぼくの胸に残酷なまでの傷をつけるのか。
なぜこんなにもこの光がぼくを惹き付けるのか。

2年という長い年月を病棟で暮らしてきて、それに慣れ親しんでしまうことはごく自然なことだろう。
けれど、そこから解放されたところで普通「帰りたい」とまで思うだろうか?


ここまでうやむやに誤魔化してきたが、この際はっきり言ってしまおう。

ぼくは病院に帰りたい。
夜勤のスタッフの険しい表情を見て心のなかでエールを送ったり、治療にあたって心が折れてしまった時励ましてくれる看護師たちと接しているほうが、今家族に侮蔑されて「学費のためだけ」に実家暮らしを続けている今よりずっとずっといい。

そもそも、病院を「帰る場所」として認識していることが間違いなのだ。
病院は「行く場所」であり「帰る場所」ではない。けれどぼくにとってはもはや病院は、病棟は、ぼくを唯一あたたかく迎え入れてくれる楽園のような場所になっていた。

もうそろそろ、限界がきているのかもしれない。
つぎ病院で暮らすことになったら、もう社会には戻れない覚悟だ。つまり、死んでしまおうと思っている。けれど日に日に、ちゃくちゃくと病院への憧れは強くなっている。同時に、畏怖も強くなっていく。

車窓にはかならず大阪赤十字病院のビル窓がうつる。
ぼくはそこからどう目を背けて生きていけばよいのだろうか?