ちょっと冷静なので自己分析を。
完璧主義が過ぎるよ、と誰かに言われた。
自分に対しても他人に対しても、人との関わりに潔癖すぎると。
完璧主義。
ぼくは一度も自分をそんな風に評価したことはなかった。だって、なんにも完璧にこなせてないから。
仕事だって勉強だって容姿だって全然だめで。
完璧主義を名乗る資格も実力もないのに、そんなかっこいい言葉で自分に名前をつけられない。なんか茶化してるみたいで。
でも最近気づいてしまった。
ぼくはすごく完璧主義だし、コミュニケーションに潔癖だ。
具体的な内容は思い出すと辛くなってしまうのでもう出さないことにするけど、常に何があっても自分が絶対正しいとどこかで思ってる節がある。
だけどその根拠と自信がないから、途中まで完成していた作品を見ないように放り出してしまう。
まえにどこかで言ったことがある気がするけど、ぼくは「ベストがだめならベターを求めて常に全力で生きられる」、愛される頼られる熱い完璧主義ではなくて、「ベスト、いや満点以外無価値。だから99点までいってても、100点に自分の実力が届かないなってわかった時点で0と同価値に感じてしまって全部捨てて逃げ出してしまう」、弱気で短気で自己愛の強い、好かれるはずのない完璧主義なんだ。だから作品の完成度が低くても、「いや、それはもうぼく関係ないから」で済ませて人に後処理を全部押し付ける、最低な人間だ。
幼い子供と同じ、100%思い通りにいかないと駄々をこねだすのと全くいっしょ。
小出しに人にあざとく甘えられる人は完璧主義とは言わない。だけどそういう人の方が世渡りは上手だし長生きもできる。
ぼくは限界まで抱え込んで全部ひとりで解決できたらいいな~なんて夢みたいな理想ぶら下げて、たぶんヒーローになりたくて、やれますやりますやらせてくださいって図にのって背負い込んで、期限ギリギリまで先送りにしてどうにもならなくなってから人に丸投げするんだ。
そんなだから人にいざ頼りたいときにも誰もこっちを向いてくれないし、手もさしのべてくれない。そっか、ぼくが誰からも嫌われるのは、そういう空気をみんな察知してるからなんだ。
リスカまみれのメンヘラ女の周りになぜか人がたくさんいるのは、「助けて」って些細なことでも大袈裟に人にすがっていけるからなんだと。
ぼくはそれが恥ずかしくてできない。
何かを人にねだるとか、頼るとか、厚かましく生きることがどうしても羞恥心と虚栄心が邪魔をして不可能なんだ。
なんかぼく思った。今までぼくを見捨てたとか見限った人たちはみんなきっとぼくがいなくなってしまっても誰も自分のせいだとは自覚してくれない。みんなそんな話スルーして、それぞれ幸せに生きる。
だって、見捨てられたって思ってるのはぼくだけで、相手はそんなつもり全然ないから。罪悪感や責任感なんかなく、ただもう見るからに救えない状態、あるいはもう死んでる状態の醜い姿で発したレスキュー要請を、「うちでは無理ですーもう助からないですー」って突っぱねた。ただそれだけ。
骨が折れてるとか、胃に穴が空いてる程度なら治せても、もう腐りかけてる死体を生き返らせるなんて無理難題押し付けられたらみんなそうなるに決まってる。
仮に助けられたとして、助けてくれた恩人の頭通り越して向こう側にある死とか快楽しか見えてない真っ黒で光のないぼくの眼をみたら、ああ助けなきゃよかったって、次からもう手貸すのやめとこってなる。
だからなんにも知らない新しい人と会って逃げ道を作ろうって知らない人に会いまくって、通過儀礼というかぼくを肯定してくれる報酬みたいな感じで安易に肉体を差し出して、結局相手はそれだけが目当てでぼくを支える気なんてさらさらなくって、ホテル出たその足で去っていってぼくとバイバイまたねって手を振ったその手でぼくをブロックする。
期待してたぼくの手元に残るのは、相手のいない空っぽの連絡先とそれでも毎日飲み続けるピルのヒートだけ。
友達なんていらない。
一緒に遊ぶと時間も使うしお金もかかるしそのくせぼくのこと愛してもくれない、庇ってもくれない、なんにも気持ちよくない。友達にはもっと大事な友達とか恋人いるし。
たまに思い出したようにLINEで連絡とってたまにフードコートで何時間も話してプリクラ撮って、でもその会話も次の日になったら思い出せないようなクソみたいな話題ばっかりで、プリクラだって帰ったら捨ててるんでしょ。
こうやって、ぼくは他人との関係のこと自分にメリットないと成り立たせる気もない、それぞれバックグラウンドのある他者の人生奪っておいて自分は相手に全然興味ない、誰よりも冷徹で潔癖な、社会に出てきてはいけないタイプの人間なんだ。
単に協調性がないとか仕事ができないくらいのことなら「個性的」とか「多様性」って今風の言葉でまだ理解も得られるけど、ここまで人格が地に落ちてたらそりゃあ誰も拾ってくれない。
ぼくが一見すごく博愛主義に見えるのはみんな平等に愛していればひとりくらい平等に愛し返してくれる人がいるかもって汚い考えからだし、そんなだから人と仲良くなろうと頑張ってもその人じゃなくて「その人とちゃんと仲良くできてる自分」を見て会話してるのがバレバレで、絶対一定以上踏み込んでくれない。
そもそもの話、平等に愛し合うってことは自分が積み立ててきた愛情以上のものは絶対返ってこない。
なのに人間って欲深いね、「俺にはお前がいないと生きていけない」ってくらいズブズブに依存されたいし、なんの下心か礼儀か分からんけど、ちょっとでも平等以上に色付けて返してくれる人には簡単に依存してしまう。
元彼がそれだった。ぼくがうーたんのぬいぐるみ欲しがったりハム太郎のスタンプ使ったりするだけでかわいいかわいいって溺愛してくれて、生きてるだけでかわいいよって抱き締めてくれた。ぼくはただ顔がタイプな人に付き合おうって言われたから、あと彼氏いなくて寂しかったからノリで付き合い始めただけだったのに、倍くらいの利子つけて返してくれた。
だから毎週3回往復1000円以上かけて会いに行ったし、毎回自腹でご飯作ったし、バイトも頑張ったし、毎回毎回ちょっとでもかわいい自分で会いに行こうって朝1時間くらいかけてメイクして苦手な電車で会いに行ってた。彼はすっぴんの方が好きだったみたいだけど。
ぼくにかけてくれた時間やお金がぼくのかけてあげられる愛情を超えてるって彼が気づいてしまったら、すぐフラれてしまうってその一心だった。そのときにあんな女に目かけて損したって思われたくないって気持ちでずっとずっと頑張ってたら、そのうち本当にぼくの方が好きになってしまって、トントン拍子に自分の意思で彼に奉仕してしまうようになって、気づいたらもう逃れられなくなっていました。
その一方で彼は最初にぼくを愛しすぎた反動か、太ったとか眉毛が太いとか、自分の理想じゃなくなったぼくを簡単に切り捨てて嫌いになりました。本人は嫌った訳じゃないと言うけど、ぼくからしたら好きじゃないなら嫌いなのと一緒です。0か100しかない完璧主義なので。
完璧ってなんなんだろう。
存在しない「完全」の限りなくクオリティの高いコピーを作れるようになって、それがいったいなんだっていうんだろう。
ぼくが19年間目指し続けてきたものって結局ただただ天国まで続く高い鏡に向かって、自分の背丈で触れられる高さまでめいっぱい手を伸ばしてジャンプして、ただそれだけだったんじゃないかって。
うまく人に頼れる人は、梯子を持ってる人がいたり階段を作れる人がいたり体張って肩車してくれる人がいたりして、そういうそれぞれの個性をうまく生かしながらぼくより遥か高いところでみんなに応援されながら生きてる。
それを傍目に、人に凭れるのが恥ずかしくてぼくは何度飛んでも届かないし体力も限界だしでだんだん繰り返しジャンプしてるときの鏡に映った自分の顔見て「ああ、ブスだなぁ」って思って完全に絶望して、他に応援したい人がいる誰かに最後にひとつだけ「硬いものを貸してください」ってそのときだけ愛想よく笑って言って、目の前の鏡を叩き割って手首を切る。
どうまかり間違っても死ねないと分かってるのに、それでゼロに、なかったことにできると一縷の望みを破片に託して。
ここまで正解が出てるのに生き方を変えられないのは、やっぱりこういう性格だからなんでしょうね。正直言って、自分でもかなり重症だと思います。
こんな人間が動物の命奪って食べて、呼吸で二酸化炭素増やして、地球に申し訳なく思います。
完璧に生きられないのなら死にたい