裸婦の目触れろ、白蝮踏め

安酒と薬にどっぷり漬かってラリりながら書いてるオナニー文章です

償い

さっきTwitterで、前世の業でもなければ法務技官なんて目指さないってぼくが言ってて、ふと改めてよく考えてみたんだけど、今まで将来何になりたいか聞かれて法務技官、刑務所や少年院の心理士っていうと「なんでそんな仕事したいの?」って毎回言われてて、毎度のことで正直めんどくさいからテキトーに「自分と違う正義感や倫理観を見ておきたいから」て言ってた。
だって似たような職種の弁護士とか警察って言う人には「かっこいいね~」で済むのに、犯罪者のカウンセリングがしたいって言うと異常者扱いで好奇の目で見られる。だからこの際はっきり説明しておくと、この説明は半分○で半分×。


ところで、改めてぼくの患ってる病気について少し触れておく。もうこのブログでは何度目だけど、ここを理解してない人にはこの先は何度読んでも絶対に理解できないから。

ひとつはADHD
日本語名称を注意欠陥多動性障害という。
症状はもう読んで字のごとくでもあるんだけど、Google検索よりTwitterの方がリアルかつ切実な体験談をネタ調に書いてくれている人が多いので笑い話で済ませておきたい方はTwitter検索。
啓発系・元気に生きよう系のハートフルユーザーは体験談もそれに附随するメッセージらしき文章もくそしょうもない、コメディアンだったら親がテレビとっくに捨ててるレベルの宗教型インチキ自己顕示ボーダー(知能検査にかけると発達障害当事者でもなく健常者レベルの知能があるでもないかわいそうな子)が9割8分。
単純明快そうに見えるメンヘラ界隈は多くが主体となる疾患が愛着障害やパーソナリティー障害であって発達障害を併発しているかはわかりづらいので、浪人界隈と呼ばれるグループに属する人のツイートを漁るのがおすすめです。
余談ですが、慣れてくるとそのユーザーがADHD持ちか健常者(ボーダー含む)かということも、薬を服用している用量まで当てられるようになるとかならないとか。

話が逸れたので戻そう。
所謂発達障害。先天性。後天的な「育ち」や「教育」では絶対にならない。
生まれ持った脳機能の障害で、根本的な治癒法はない。基本的には青か白のカプセル「ストラテラ」という薬で長期的に改善していく。重度の場合「コンサータ」という劇薬を使用する。この薬は精神科医の医師免許のほかに精神保健指定医といわれる特殊な登録を受けた医師のみが処方できる第一種向精神薬。現在は診断を受け処方箋を書く病院経由で診断書と個人情報の書類を役場だか保健所だかに提出し、許可申請が通ってからようやく処方される。
覚醒剤と名高いリタリンを体内でゆっくり押し出す構造のカプセルに詰めただけのお粗末と言えばお粗末な仕組みだが、これの困ったところは半日しか薬効が持たないところ。当然成分は覚醒剤と同じなので半日以上効かれると困るは困るのだが、朝飲むと夕方まで持たない。だから毎朝飲み続ける必要がある。一生。
しかし驚くべきところはそんなところではない。「飲み忘れる」のだ。しかもADHDでこの薬を処方されている多くの患者が。これがないと社会的死しか待っていないのに、やれ寝坊して昼を過ぎてしまったから(不眠になるため昼を回ったら原則飲めないよう指導される)だの、朝ごはん食べたらそのまま遊んでしまっただの、仕事が長引いてうっかり……だの、理由は各々考えて言い訳はするが、大体診察の度に主治医に叱られて帰ってくるだろう。
母親に「もうお願いやからコンサータだけは飲んで……お金払ってんねんで……?」とガチ泣きされたぼくが保証する。ちなみに薬価は1錠400円である。

そのADHDの障害に気づかず16年生きてきてしまったがために二次的に発症してしまったのが双極性障害。所謂「躁鬱」である。
これは後天的なもので、置かれている環境や生い立ちに関する記憶などがとても強く関与している。
「鬱」のときは、何を見聞きしても心が動かされず、何を食べても味がしない。人と話していても会話のテンポに脳がついていけずまったく面白くない。かといって外出する元気も体力もなく、飲みたくない薬を飲むためだけに嫌々でも食事がとれるならまだいいほうで、たいていは寝付くこともできずずっとただ寝転んで一日が終わる。

「躁」のときは、テンションが異様に上がり、眠れなくなり、落ち着きがなくなり、過食に走ったり逆に拒食に陥ったりする。(なんか食べなくても死なないので食べなくてもいいと思う)
一般には「鬱」のつらさが語られることが多いのであまり躁転期の苦痛は知られていない。しかし何をやってもうまくいく時期かというとまったくもってそうではなく、むしろテレビの音は飽きてうるさいつまらない、本を読もうとしても目が走って内容が頭に入ってこない、音楽も雑音にしか聞こえない、人と会話が成り立たないなど決してまともに社会生活を送れる状態ではない。

ただ、塞ぎこんで無気力で寝ているだけなら病状としては比較的心配ない。しかし怖いのが、「鬱から躁」に移るとき。
体が追い付かないまま気力だけ一気に回復してしまうのだ。異常なほどに。

だから、自殺する患者がとくに多いのがこの時期なのだ。

ぼくくらいの年齢で精神疾患を患ってしまうと寛解はかなり難しく、多くが老いるのを待たずに死んでしまうと聞く。

どちらにせよ人とコミュニケーションがとれるような状態ではないので、普通の人間関係の構築はまず不可能になる。


ここからがぼくの主張なのだが、犯罪者のうち思っている以上に多くの比率でそういう背景を背負っていることに誰にも気づかれないまま裁かれる人がいると思うのだ。
そういう人は大抵罪を犯している自覚がなかったり人を傷つけている感触を感じるボーダーラインが人と相違していたりするので、きっと再犯率も高い。
そういう人を心理調査で見つけ出して、健常者とはまた違った接し方で関わっていくことでその根本にある障害や問題を解決するように努める、それが社会の秩序を守る方法のひとつでもあり、自殺や心中などの誰も救われない結末を辿る人が減る結果にもなると思うのだ。

しかし、普通に接しているつもりなのにいつの間にかいさかいになっているこのもどかしさ、自分をわかってもらえない苛立ち、目の前の人間と理解しあえないと分かったときの絶望感は絶対に当事者にしかわからない。だから、精神疾患を持っている患者かどうかは話をよく聞いた医師か、同じ経験を持つ当事者同士にしか見抜けないはずなのだ。それこそ被告人の薬が捜索で出てきたとか、保険証の提出履歴に個人で「精神科」として看板を出している明らかな精神病院があったとか、明確な証拠がない限り。

その「明確な精神障害者」の処分はぼくらの支配領域ではない。面倒なので検察と裁判官に任せる。どうせ執行猶予がつくか悪くても3,4年で出てくるだろう。

ぼくが社会に更正させて送り出したいのは、それまでの人生で障害や疾患に気づかず診断も受けたことがなく、そんな病気知りもせず、もちろん自分がその病気の患者だなんて疑いもせず、ただみんなと同じようにまっすぐ生きたかっただけの、その方法を少しどこかで間違ってしまっただけの立派な人間だ。

刑務所や少年院で会った人間とはどれだけ仲良くなっても刑期が終われば別れが来るが、自分の体とは死ぬまで別れられない。
まだ家族や大切な人を殺されたことがないからこんなことが言えるのかもしれないが、ぼくは刑法が定めた刑期よりも長く罪を償い続けることを強いられるのには反対だ。出所しても個人的に現場を見舞って花を供えたりお詫びの挨拶をしに行って追い返されたりするのは自由だが、それはあくまで罪人本人の罪の意識から来る行動だから価値があるのであって、法で定められた刑以上の罰を誰かに命じられているのであればそれはその人の個人的な尺度であり、利己的な恨みだ。司法の名の下でそのようなことをしては、法のもとの平等が崩れてしまう。

だから、お務めを終えたらその罪からは解放されなければいけないと思うのだ。
なのに犯罪者だからと精神疾患を無視して、否定して無責任に社会に追放してしまうと、根本の問題が解決していないのだからそいつは必ず戻ってくる。人を殺して。物を盗んで。異性を犯して。
摘んでやらない限り、治らないのだ。彼らに必要なものは罰ではない。反省の時間でもない。治療だ。そうしない限り、彼らは永久に罪を償えない。

一部の障害者にとって、社会こそが監獄そのものなのだ。
迫害され、差別を受け、侮辱され、生きることを罪と捉えるようになる。そうなれば人の一生は簡単に罰になる。誰も傷つけていなくても、あるいはその罪を償い終えていても、死ぬまで十字架にかけられ続ける。


法務技官ひとりができることはほんのわずかかもしれない。グラフで見れば、犯罪件数なんて1ミリも減っていないかもしれない。でもこれは、生まれたときから終身刑にかけられているぼくが人に施せる唯一の善行なのだ。

なぜ写真に写るのか

被写体を卒業して改めて実感することは、自分って表現力ルックス技術アイデア色々ほんとに未熟で終わったんだなとか、見えるところでも見えないところでもカメラマンさんに支えられて生かされてきたんだなってこととか、本当にいろいろありました。でもただ「辞める」って言い方ではなくてわざわざ「卒業」って言葉を使ってるだけあって、そのすべてにとりあえずは一旦満足して区切りをつけて、自分は人より優れた容姿を持っている訳でもちやほや愛される才能を持っていたでもなく、ただただ身の回りに転がっている「羨望」や「憧れ」なんかを自分で趣味として提示して、それにたまたま運よく目をつけてくれた人についてきてもらってここまでこれただけの単なる一般人であることを自覚し直して、被写体を卒業してからここ3ヶ月生きてきました。
可愛い、綺麗、かっこいい、憧れる。そんな畏れ多い言葉をもらえたのも一度や二度ではありませんでしたし、最後には被写体活動を通じてできた仲間とはじめてペアで撮影することもできました。コロナで開催は叶わなかったけれど、企画していた生誕祭イベントには会場としてほとんど無利益で場所をお貸しくださると仰ってくれたバーの方にご協力いただいたり、ミスiDに出たおかげで知れたとてもセンスのある画家さんにお越しいただける手筈に運べたりと、最後の最後までぼくの思い出作りに協力してくれる人が残ってくれました。本当にありがたいです。

でも、ひとつだけ叶わなかった……目標、いや、目標というのはあまりにも手の届きそうな位置にいたような言い方になってしまうので、理想……でもなく、幻影。そう。幻影がある。

笑ってしまうかもしれないがかまわない。いやむしろ笑ってもらいたい。そんなに甘くはないと笑い飛ばして、下らない幻影だったと受け入れさせてほしい。

ロックバンドのMVに出たかったのだ。

全く売れてるメジャーバンドでなくてもいい。むしろ、学生さんや社会人と両立しながら夢を追っている、どちらかといえばインディーズのバンドのMV製作に携わりたかった。メンバー達が産みの苦しみを伴ってこの世に送り出した5分間の舞台で、与えられた新しい自分を演じたかった。

理由はいろいろあって。
まずはありきたりだけど、自分自身が音楽に、とくに日本のロックンロールミュージックに助けられてきたからだ。
ひっきりなしに脳裏に書き込まれていく生きることへの満ちたりなさを解放する手段を何一つ持っていなかったぼくは、病院帰りふと何の気なしにCDショップへ入った。これまで音楽になんの興味も持たず育ってきたぼくが試聴コーナーのヘッドフォンを手に取ったのもただただ偶然で、食べる気にもなれない昼食の時間暇潰しがしたかっただけだった。
しかし、再生ボタンを押した直後に聴こえた音は、流れてくるというより“襲いかかってくる”という表現が正しいと、本気でそう思った。
かくして、浮いたはずだった昼食代はハンブレッダーズの純異性交遊に化けた。
入院中、昼も夜もなく突然襲いかかってくる不安発作や不穏な衝動を、退屈が生み出す偽の寂しさや愛情への欠乏症状を、ときに暴力的なギターの旋律で叩き壊し、ときに慈悲深げなベースの祈りで甘やかしてもらい、ときに規則正しいドラムのリズムで修理され、そしてときにボーカルの詞でそのめんどくさい感情を涙や頓服薬に換えて眠りについた。
病院のコード禁止処遇で靴紐やジャージの腰紐まで没収されたが、イヤホンだけは絶対に渡さなかった。

音楽に明るくないぼくでも、知らず知らずのうちに音楽に命を救われてきていた。
それに気づいて、就職するまでの間何か音楽に携わっていたいと思うようになったが、ぼくは歌声を失ってしまっているし、ギターの技術もないし、ほかの楽器なんて触ったこともない。そこで、音を奏でられなくても楽曲の気持ちを伝えられる立場を唯一思い出した。それがMVに出演している俳優だった。
CDディスク文化の廃れ始めた現代、デジタル媒体で配信される楽曲たちに次に求められるものは「視覚情報」だ。脚本・監督・撮影・制作にそれぞれ別々の大人がつく100分尺の映画や連続ドラマと違う。
極限まで予算や人件費を抑えているであろう現場で、アーティスト本人と比較的近い距離に立って、それも監督や脚本家に作り出された自分と違う名前で生きる場所も生きてきた環境も違うとある一キャラクターに対して与えられた台詞ではなく曲の場面展開に合わせた表情や動きだけで赤星かなめ自身として感情を表現し、それをコンパクトな時間に収めるというのはとても難しいと思うが、だからこそ作品ひとつひとつに責任や思い入れが生まれる。
携わったバンドがいずれ人気になっても自分の作った、奏でた音楽は絶対に忘れない。その中で、その楽曲の中に自分がいることを覚えてくれている人がひとりふたりいてくれればぼくはもういつでも死ねる。
逆に音楽を諦め、全く違う道を歩むことになったとしても、活動してきた軌跡の中に残る誇りの中に一瞬でもぼくが関われれば、生まれてきた意味になる。

もしも世の中の全員がMVのぼくをみんな忘れてしまっても、それは楽曲の印象にかき消されたということであってむしろ喜ばしいことだ。そのバンドの楽曲がそれだけ素晴らしい作品ということでもあり、楽曲のイメージにそれだけ溶け込むことができたということだ。

動画のサムネイルを見るとMVの俳優はクローズアップされているように見えるが、実はいちばん陰からアーティストの成功を祈り、願い、支える助手役なのかもしれないと思っているし、そういう俳優になりたかった。
そして、素晴らしい音楽を作れるのに誰にも見つからず燻っているバンドと一緒に成長して、将来ぼくが法務技官になったとき公務員になったことへの喜びや祝福よりも先に「俳優やめてしまうなんて悲しい」がつい出てくるような存在になりたかった。

自分じゃなにも作り出せない、発信できないから、嫌なことあっても言えないから、ちゃんと自分の意思を伝えられる人達に憧れてた。ましてやそれを、誰も傷つけない音楽という形に昇華して広く伝えられる才能が欲しかった。だから、聞いてどうこう批評するだけの受け取り手の立場じゃなくて、なんとか発信元の近くに行きたかった。そして、交換手のような立場を見つけて、自分なりに頑張って足掻いてみて、それなりに評価してくれる人は評価してくれる立ち位置までは来れたけど、その夢には触れることもできず単なる憧れに終わった。

……と、最終的にはこういう私利私欲に帰結してしまうのだけれど、まあ……みんな誰しも一度は青春時代に憧れただろうミュージシャンという存在に、ひとりぼっちのぼくもちゃんと憧れた。
夢として具現化する形は人とちょっとズレてたけど、ちゃんと自分のもとまで音楽を届けてくれる恩人に出会うことはできていたし、言ってみればただの音の羅列にすぎない音楽というものに対する「好き」という気持ちも人並みにちゃんと持っていた。

楽器を持たなくても音楽はできると証明したかったっていうのがいちばんの理由だったかな。
だからその幻影を叶えないままカメラの前に出るのをやめてしまうことになって、ちょっと悔しい。

ゆめにっき

今日見た夢の話。①

山のなかのとある一軒家を訪ねる番組だった。ぼくはテレビからその番組を傍観していた。
家には主人と婦人、顔を出した長男と長女、その下の兄弟たちは成長していたがお面で顔を隠していた。
長女は癇癪癖があり、しょっちゅう奇声を上げて夜中に家中の人をたたき起こしていた。
しかし主人も婦人もその事についてなにも詳しく説明してくれることはなく、泊まりのロケは続いていった。

あるとき、長女の婚約者が家に挨拶に来ることになった。
宴もたけなわ、彼が3本目のコーラを開けた時、突然彼は意識を失い、椅子から転げ落ちた。
幸い大事には至らなかったが、その日の長女の癇癪は酷いものだった。
家のなかの家財道具をさんざん荒らし回り、ロケスタッフに怪我まで負わせた。

そして問い詰めて問い詰めてついに、主人と婦人の口からその理由が明かされようとしたその時、長男が割り込んできた。
「俺だよ。ろくでなしの姉ちゃんに縁談の話が舞い込んで浮かれてやがるから気持ち悪くてよ、寄生虫たっぷりな野犬の肉出してやったんだ」

「ほかのやつは……お前はなんで無事で……」

「それはお前、あれだよ。うちで作ってるコーラ。コーラは整腸作用があるって言われてる。あれを普段から飲んでるから助かったんだろうな」

「馬鹿お前……!ここの息子やってて知らねえのかよ……!
ここのコーラは故意に用量の13倍以上の整腸剤を混ぜもんに入れてるホンモンの整腸剤だ。これ飲んでるやつが寄生虫に倒れるわけないわな。申し遅れました、○○という番組の覆面調査員でした」
「調査……員……」
「そして……あなたの幼馴染です。あなたは昔、体調不良を訴えた私に猫を食べさせようとそれはそれは大きな猫を捕まえて私の目の前で溺死させ、捌いて出しました。でもおかしいんです。猫の野性の本能をなめてはいけません。あなたの力なら本来、その猫の半分もない猫を溺れ死なせるのも至難の技です。なのにあんな大きい猫を……あれは大量に薬を与えて実験に使われ、ひどく弱っていたのを知っていたからですね?」

自らを殺されかけたと知って、婚約者の彼はもう家には近づかないだろう。
それを理解してかせずか、朝になっても長女の癇癪はおさまらず、ついに自ら喉を切って自殺した。


今日見た夢の話。②

髪食いそば……というものを知っているだろうか。
山奥のとある神社一社がかつて納めてくれた頭髪に対してそばを出し、それを10日かけて食べる。10日以内に食べきってしまったもの、10日以上かかってしまった者は行方知れずになるが、ちょうど10日で食べきった者は必ず願いが叶うという。
現在は表だってやっているメニューではないらしく、唖者の巫女に手話で暗号を送り、認められたものだけが受けられる裏メニューとなっている。
取材班は長老から身ぶりを教えてもらい、そのおまじないに潜入することができた。
本堂から坂道を下ったところにまた神社所有の建物があり、そこに10日間こもって儀式を始めるらしい。

髪を抜いて入れた袋に願い事を書くのだが、彼女だけペンが平形のフェルトペンで、司法試験合格を願った彼女の願いの内容にはそぐわない汚い字になってしまった。有名な神社なのでもし知り合いに見られたら恥ずかしいと、「名前は書かなくてもいいか」とつたない手話で巫女に聞いた。「書いた方が確実。でもお社さまは常に私たちを見ているのでだいじょうぶ」と返ってきたので書かないことにした。

ついに離れに入り、ほかの食べ物を支給されないよう鍵をかけられた。
「お手本を見せます」通訳されながら前に出たのは唖者の巫女で、「ほどいて」と書いた。
前のかごに袋をいれ、盆の前に立つ。透明な汁に潜らせて麺に口づける。
出汁を啜りとるだけで麺は決して口にいれずついに8日がたった。残りの2日でちょうど彼女の胃に収まり、正面の扉から出ていった。
次の月から彼女は唖者ではなくなった。

彼女の所作を逐一真似していた人たちは同じように出ていくことができたが、縮んだ胃袋にそばが入りきらなかったり、待ちきれず先に食べてしまった者だけは取り残された。
フェルトペンで願い事が汚くなってしまった彼女もその前者で、彼女はとんでもない嫌な予感を感じていた。それは予感通り、社の扉が開けられ不気味な男たちが入ってきた。男の手には赤い糸と針があり、彼女ははじめて「ほどいて」の意味を、巫女が唖者であった理由を読み取り、即座に逃げ出した。
勘のいいもうひとり、清水班長も逃げ出して、本宮で合流した。
「10日で食べられなかったら……口が、縫われる……」
「でも大丈夫だ、俺たちはこうして逃げてこれた……幸い、西澤と赤塚はちょうど食べきってた。願い事を叶えてくれるなんていっても、裏は必ずある。これからは美味しい話には気を付けよう」




清水班長は行方不明になった。
願い事に名前を書いていたので。

最悪な少女の結末

彼女は幼い頃から努力を知らない子だった。
なにも努力せずとも成績は優秀、身体能力も高くて、絵を描かせれば校内のポスターになり、作文をさせればコンクールで賞を取って帰り、小学校の高学年では生徒会役員、中学校では2年生にして図書委員の副委員長を務めていた。
彼女の趣味は読書・アニメ鑑賞と、中学1年生の春に友人らの誘いによって参加した日本橋ホコ天イベントで知ったコスプレだった。
友人らはただそのイベントでコスプレをしてみたかっただけらしくすぐに別のジャンルへ移行していったが、彼女だけはコスプレにひきこまれ精力的に活動に励み、次の年もその次の年もひとりでそのイベントに参加した。未成年ながら交流する、付き添ってくれる年上のコスプレイヤーやカメラマンも増え、無類のアニメ好き……いや、アニメオタクだった彼女が、将来の夢に「声優」を掲げるようになるまでにそう時間は要さなかった。


時は流れ、とある高校。
夏の終わりが秒読みとなり、私立進学校の短い休みが終わって一日目の登校日。
二限の始まりを知らせる聖歌が鳴っても、まだ一限の現代文のノートを開いたままどこかへ行ったきり席に戻ってこない女子生徒がいた。
不思議に思った担任が、たまたま受け持ちの教室がなかったので校内の方々をまわり彼女を探し回った。

彼女は3限の始まりごろ見つかった。
中学棟にもぐりこみ、教員用トイレの個室内で向精神薬を大量に服薬して倒れた瞬間の鈍い音を、中学部の女性教師がたまたまトイレに入ったタイミングで聞いて驚き通報したのがことの些末だった。

倒れて即の通報と医師たちの懸命な手当によって幸か不幸か一命をとりとめた彼女だったが、処置のミスで喉に傷をつくってしまい、声優志望だった彼女には逆に致命的な障害を背負ってしまった。

自殺に至った直接の動機ははっきりしておらず、ただ受けた公立高校の入試に落ちて滑り止めのこの高校に入ったが後述するとある性質の難によってか周囲から浮いた存在になってしまい、彼女はそれでも学校に通い続けるが突如授業中に救急車で搬送されるほどの激しい腎臓(背中)の痛みに悩まされる日々を送るはめになり、内科、泌尿器科、ペインクリニック、総合診療科などと病院をたらい回しになり毎日の病院通いで高校は留年、あげくどこの科でも原因が見つからずお手上げで「心理的なもの」と実質的には匙を投げられる形で精神科に押し付けられた。
そこで検査にかけられ、まず鬱病(後に双極性障害だとわかる)が見つかり、そのさらに原因を突き詰めていくと発達障害ASDADHDが見つかった。
彼女が生まれもってさまざまな能力に長けていたのも単に天才だったのではなくこの発達障害の過集中や能力の偏りによるものであり、そのぶん一般社会での生活にあたって著しく能力を欠いた分野が次々露見された。
コミュニケーションもそのひとつであり、彼女がどのように振る舞っているつもりでも周囲の人間は彼女を嫌い、輪から外した。しかし彼女は助けを求める術も知らなかったし、自分には独りが似合っているからこの立場にいるのだと甘んじて受け入れていた。本心なら友達を作って放課後遊びにいったり、同じ年代の子と恋愛に興じてみたかった。

また、このADHDには症状を抑える薬があるのだが、劇薬リタリンと同一のメチルフェニデートを主要とした第一種向精神薬であり、処方日数に制限があった。その日数中に帰ってこられないからという理由、精神的・肉体的に不安定な病人を海外に1ヶ月も放り出すことは絶対にできないという理由から、この年の8月に同じクラスの生徒が行ったカナダへの1ヶ月の短期留学をおじゃんにしていた。彼女が滑り止めとはいえこの高校を志望した理由であったそのイベントに参加できないとあって、彼女は次の年の進級は普通科進学コースで遂行したいと申し出た。しかし、カリキュラムの差異があるからと学校側はそれを却下し彼女を無理矢理言いくるめて国際コースのまま進級させた。彼女は楽しみにしていたカナダ留学がひとりできないとわかっていながら留学する生徒にまじって同じクラスで進級した。

その登校日は当該クラスの帰国後日本でのはじめての登校日でもあった。
彼女はその日、なぜか雨でもないのにいつも乗っていたクロスバイクではなく徒歩と電車で登校し、遺書も残さず、机の上も片付けず、半年もの間薬を飲めば楽に生きられたかもしれない可能性を捨て宙ぶらりんな生活に耐えて耐えて溜め込んだ劇薬を一度に400錠近く飲み込んだ。
でも、そこまで困窮した事態でも正直彼女自身はそう悲観していた様子でもなく、むしろあっけらかんと自らの悲劇を笑い話にまでしていたのだ。なのに、事件が起こった当日だけはほとんど記憶がなく、薬を持って出たこともその日は徒歩で駅を目指したことも薬を飲んだことも覚えていない、ほとんど無意識だった。
トイレの床に直にばらまいた数百錠の錠剤の粒と折り重なった空きヒートの写真をなぜか撮っていて、あとから自分が飲んだ薬の量とその状況から甦った現状の対比に驚いていた。


助かってしまったはいいが、2年もの精神科入院のブランクと高校留年の烙印を押され、精神科では前科持ち(ODや自殺未遂の治療患者)として親が同伴でなければ処方箋すら握らせてもらえず、彼女はその後も何度か自殺未遂を繰り返した。
しかし初回のような無意識の衝動はやってこず、理性と感情のある彼女の自傷は何度やっても初回を超えることができず、薬の管理も親に任され残った彼女のSOSの発信形態は過食と援助交際になった。

そのふたつの自傷によって、それまで溺愛してくれていた恋人は冷めて彼女に別れを告げた。
卒業が決まって高校生という箔を失ったこともあり売春からは完全に足を洗ったが、過食癖は治らず、抑えようとすると反動で今度は拒食の症状が出て通院で点滴をされたり。
彼女を元の生活に戻すにはもう一度長期の入院をさせるしかないと医師は言うが、彼女の家庭は五人家族で次女は高校受験を控えている状況。すでに2年の入院で結果が出なかったために、彼女も医師もとてもじゃないが入院を勧めたいと切り出せる状況ではない。

彼女自身も彼女に障害を持たせて産んでしまった親も、生涯医療と行政にすがり付いて生きていくしかない。
声優という夢を失い読書もアニメ鑑賞も全くしなくなってしまった彼女だが、カメラには撮られ続け、講談社のミスコンではファイナリストにも選出されている。遅れをとった学力を取り直し、かつて自分を励まし肯定してくれた心理系の仕事に興味をもって刑務所や少年院の心理カウンセラー「法務技官」になるため公立大学を見据えて勉強している。が、現在も精神状態は悪化し続けており、薬を飲むために薬を飲んで生きているという状態。そんな人間に果たして人の心を救うことができるのか、我々はそっと目を閉じることしかできない。

完璧主義

ちょっと冷静なので自己分析を。

完璧主義が過ぎるよ、と誰かに言われた。
自分に対しても他人に対しても、人との関わりに潔癖すぎると。

完璧主義。

ぼくは一度も自分をそんな風に評価したことはなかった。だって、なんにも完璧にこなせてないから。
仕事だって勉強だって容姿だって全然だめで。
完璧主義を名乗る資格も実力もないのに、そんなかっこいい言葉で自分に名前をつけられない。なんか茶化してるみたいで。

でも最近気づいてしまった。
ぼくはすごく完璧主義だし、コミュニケーションに潔癖だ。

具体的な内容は思い出すと辛くなってしまうのでもう出さないことにするけど、常に何があっても自分が絶対正しいとどこかで思ってる節がある。
だけどその根拠と自信がないから、途中まで完成していた作品を見ないように放り出してしまう。
まえにどこかで言ったことがある気がするけど、ぼくは「ベストがだめならベターを求めて常に全力で生きられる」、愛される頼られる熱い完璧主義ではなくて、「ベスト、いや満点以外無価値。だから99点までいってても、100点に自分の実力が届かないなってわかった時点で0と同価値に感じてしまって全部捨てて逃げ出してしまう」、弱気で短気で自己愛の強い、好かれるはずのない完璧主義なんだ。だから作品の完成度が低くても、「いや、それはもうぼく関係ないから」で済ませて人に後処理を全部押し付ける、最低な人間だ。
幼い子供と同じ、100%思い通りにいかないと駄々をこねだすのと全くいっしょ。

小出しに人にあざとく甘えられる人は完璧主義とは言わない。だけどそういう人の方が世渡りは上手だし長生きもできる。

ぼくは限界まで抱え込んで全部ひとりで解決できたらいいな~なんて夢みたいな理想ぶら下げて、たぶんヒーローになりたくて、やれますやりますやらせてくださいって図にのって背負い込んで、期限ギリギリまで先送りにしてどうにもならなくなってから人に丸投げするんだ。
そんなだから人にいざ頼りたいときにも誰もこっちを向いてくれないし、手もさしのべてくれない。そっか、ぼくが誰からも嫌われるのは、そういう空気をみんな察知してるからなんだ。
リスカまみれのメンヘラ女の周りになぜか人がたくさんいるのは、「助けて」って些細なことでも大袈裟に人にすがっていけるからなんだと。

ぼくはそれが恥ずかしくてできない。
何かを人にねだるとか、頼るとか、厚かましく生きることがどうしても羞恥心と虚栄心が邪魔をして不可能なんだ。

なんかぼく思った。今までぼくを見捨てたとか見限った人たちはみんなきっとぼくがいなくなってしまっても誰も自分のせいだとは自覚してくれない。みんなそんな話スルーして、それぞれ幸せに生きる。
だって、見捨てられたって思ってるのはぼくだけで、相手はそんなつもり全然ないから。罪悪感や責任感なんかなく、ただもう見るからに救えない状態、あるいはもう死んでる状態の醜い姿で発したレスキュー要請を、「うちでは無理ですーもう助からないですー」って突っぱねた。ただそれだけ。
骨が折れてるとか、胃に穴が空いてる程度なら治せても、もう腐りかけてる死体を生き返らせるなんて無理難題押し付けられたらみんなそうなるに決まってる。
仮に助けられたとして、助けてくれた恩人の頭通り越して向こう側にある死とか快楽しか見えてない真っ黒で光のないぼくの眼をみたら、ああ助けなきゃよかったって、次からもう手貸すのやめとこってなる。

だからなんにも知らない新しい人と会って逃げ道を作ろうって知らない人に会いまくって、通過儀礼というかぼくを肯定してくれる報酬みたいな感じで安易に肉体を差し出して、結局相手はそれだけが目当てでぼくを支える気なんてさらさらなくって、ホテル出たその足で去っていってぼくとバイバイまたねって手を振ったその手でぼくをブロックする。
期待してたぼくの手元に残るのは、相手のいない空っぽの連絡先とそれでも毎日飲み続けるピルのヒートだけ。


友達なんていらない。
一緒に遊ぶと時間も使うしお金もかかるしそのくせぼくのこと愛してもくれない、庇ってもくれない、なんにも気持ちよくない。友達にはもっと大事な友達とか恋人いるし。
たまに思い出したようにLINEで連絡とってたまにフードコートで何時間も話してプリクラ撮って、でもその会話も次の日になったら思い出せないようなクソみたいな話題ばっかりで、プリクラだって帰ったら捨ててるんでしょ。

こうやって、ぼくは他人との関係のこと自分にメリットないと成り立たせる気もない、それぞれバックグラウンドのある他者の人生奪っておいて自分は相手に全然興味ない、誰よりも冷徹で潔癖な、社会に出てきてはいけないタイプの人間なんだ。

単に協調性がないとか仕事ができないくらいのことなら「個性的」とか「多様性」って今風の言葉でまだ理解も得られるけど、ここまで人格が地に落ちてたらそりゃあ誰も拾ってくれない。

ぼくが一見すごく博愛主義に見えるのはみんな平等に愛していればひとりくらい平等に愛し返してくれる人がいるかもって汚い考えからだし、そんなだから人と仲良くなろうと頑張ってもその人じゃなくて「その人とちゃんと仲良くできてる自分」を見て会話してるのがバレバレで、絶対一定以上踏み込んでくれない。

そもそもの話、平等に愛し合うってことは自分が積み立ててきた愛情以上のものは絶対返ってこない。
なのに人間って欲深いね、「俺にはお前がいないと生きていけない」ってくらいズブズブに依存されたいし、なんの下心か礼儀か分からんけど、ちょっとでも平等以上に色付けて返してくれる人には簡単に依存してしまう。

元彼がそれだった。ぼくがうーたんのぬいぐるみ欲しがったりハム太郎のスタンプ使ったりするだけでかわいいかわいいって溺愛してくれて、生きてるだけでかわいいよって抱き締めてくれた。ぼくはただ顔がタイプな人に付き合おうって言われたから、あと彼氏いなくて寂しかったからノリで付き合い始めただけだったのに、倍くらいの利子つけて返してくれた。
だから毎週3回往復1000円以上かけて会いに行ったし、毎回自腹でご飯作ったし、バイトも頑張ったし、毎回毎回ちょっとでもかわいい自分で会いに行こうって朝1時間くらいかけてメイクして苦手な電車で会いに行ってた。彼はすっぴんの方が好きだったみたいだけど。
ぼくにかけてくれた時間やお金がぼくのかけてあげられる愛情を超えてるって彼が気づいてしまったら、すぐフラれてしまうってその一心だった。そのときにあんな女に目かけて損したって思われたくないって気持ちでずっとずっと頑張ってたら、そのうち本当にぼくの方が好きになってしまって、トントン拍子に自分の意思で彼に奉仕してしまうようになって、気づいたらもう逃れられなくなっていました。

その一方で彼は最初にぼくを愛しすぎた反動か、太ったとか眉毛が太いとか、自分の理想じゃなくなったぼくを簡単に切り捨てて嫌いになりました。本人は嫌った訳じゃないと言うけど、ぼくからしたら好きじゃないなら嫌いなのと一緒です。0か100しかない完璧主義なので。


完璧ってなんなんだろう。
存在しない「完全」の限りなくクオリティの高いコピーを作れるようになって、それがいったいなんだっていうんだろう。
ぼくが19年間目指し続けてきたものって結局ただただ天国まで続く高い鏡に向かって、自分の背丈で触れられる高さまでめいっぱい手を伸ばしてジャンプして、ただそれだけだったんじゃないかって。
うまく人に頼れる人は、梯子を持ってる人がいたり階段を作れる人がいたり体張って肩車してくれる人がいたりして、そういうそれぞれの個性をうまく生かしながらぼくより遥か高いところでみんなに応援されながら生きてる。

それを傍目に、人に凭れるのが恥ずかしくてぼくは何度飛んでも届かないし体力も限界だしでだんだん繰り返しジャンプしてるときの鏡に映った自分の顔見て「ああ、ブスだなぁ」って思って完全に絶望して、他に応援したい人がいる誰かに最後にひとつだけ「硬いものを貸してください」ってそのときだけ愛想よく笑って言って、目の前の鏡を叩き割って手首を切る。
どうまかり間違っても死ねないと分かってるのに、それでゼロに、なかったことにできると一縷の望みを破片に託して。


ここまで正解が出てるのに生き方を変えられないのは、やっぱりこういう性格だからなんでしょうね。正直言って、自分でもかなり重症だと思います。
こんな人間が動物の命奪って食べて、呼吸で二酸化炭素増やして、地球に申し訳なく思います。


完璧に生きられないのなら死にたい

ねむいの

最近あんまり喋れなくなってしまいました
自分の発する声が、言葉が、人を不快にさせてしまうって思って
この間バイト中過呼吸起こして早退したんですけど、そのあと公開された1月後半のシフトぼく1日も入れてもらえてなくて、すごく悲しくなりました
受験あるとは言ってたけどセンター試験直前以外ほとんど空けてシフト出してたのに残念です 使えないって思われてるんでしょうか
甲子園のバイトもなんか遠いところまで行ってやる内容じゃない気がして、採用はされたけど登録会行くか行かないか迷ってます
センター試験も咳出るって言って休みます

前受診してから本当に限界レベルまで病んでしまって、何回も首吊ろうとして苦しいとか怖いとかで失敗してもう死に直すのもめんどくさくて疲れてしまって今です
11日にもらった眠剤と貯めてたソラナックス全部飲んでしまってそれでも首吊れないまま目が覚めましたふつうに 3時間半寝ました
12日の夜病棟に電話かけたのもぼくです
その日一日中首にギターのシールドかけて外しての繰り返しで、誰かに助けを求めたくて病院しかないって思って衝動的にかけてしまったんですけど、繋がってから夜勤の人にどうすることもできないなっておもって「助けて」だけで「ごめんなさい」って切ってしまいました
いたずらって思われたんかなって後悔もしました、でもぼくの思いなんてまあいたずらみたいなもんだしって、

もう死ぬのもめんどくさい、身体が動かない、消えたいです
生まれたことをなかったことにしたい

元彼がTwitterのリプ欄でコンカフェの女とイチャついてました死ね、こんな心の底から死ねやって思うの初めてです
こんな醜い感情を抱えた女でも好きって言いつづけてくれた、そんな彼が今でも大好きで仕方がない自分が、そんな彼の期待に応えられなかった自分が嫌いで嫌いで嫌いでもう一生恋愛したくない人のこと好きになりたくないだって苦しいもん
もっとかわいかったらもっと心が綺麗だったら繋ぎ止めていられたのかなってすごくすごくしんどいです

14日は唯一自分を見捨てないでいてくれる友達と遊びにいく予定でした
死にそうになってるときも14日遊ぶんでしょ?って刺激しないように止めてくれて、何を相談しても第一にぼくを肯定してくれる、すごく優しい人でした
梅田で集合するはずでした
13:30頃までふつうに会話してました
そこから合流するまでの2時間、突然連絡が途絶えてしまって、確認したらブロックされていました
結局彼とは音信不通のままです
負担になってたのかもしれないし、もともとぼくのこと好きじゃなかったのかもしれない でも突然のことすぎて、それまでふつうに話してたのになんの心当たりもなく無言でブロックされて、とても傷つきました
春になったらユニバ行こうって、時間できたら麻雀しようって、酒飲んでラーメン食べようって約束してたのに

もう人と交流したくないです 誰も信じられないし誰も信じたくない
人を愛しても裏切られるだけでリターンがない
ぼく見返りがないと人に優しくできない人間なので、周囲の他人が消えていくと信じられるのが自分自身だけになってしまって、自己愛の権化みたいな人間になってしまう それが怖くて仕方がない
他人に嫌われるのはまだいいほうで家族にすら愛されてないのほんとに死にたい でもいちばんぼくのこと愛してないのは自分自身だってこともわかってるからもうしんどくてしんどくてたまらない

先生や心理士さんがぼくのことあくまで肯定してくれるのはそれがお仕事だからであって、本質的にはぼくのことがきっと嫌いなんだと 時間も守らないし薬もちゃんと飲まないししょっちゅうトラブル起こすしめんどくさい客って思ってるに決まってる
それを顔や態度に出さないでいてくれるのは、毎回こうして気持ちよく思いを吐き出して帰れるのは、ふたりともこういう患者の対応に慣れてるってことと、何より大人だからだ
お金もらってやってるわけでもない、経験積んだわけでもない、20歳,30歳の人間がうまく病んだ人間の相手するなんて、たとえどんだけ好きな相手だったとしても何ヵ月も続くわけがない

人に求めすぎたのかも でもたまには甘えていいよって言ったのはお前だろ
いつも真摯で大人に生き続けてる そんなぼくがたまに弱くなってたまに頼るくらいで切り捨てるんじゃもとからぼくなんてかわいくなかったって証拠じゃんね

こうして裏切られる度自己嫌悪と反対に自分は絶対悪くないって根拠のない自信と消極的なあきらめと追いかけて余計に嫌われたくないって気持ちとがぐちゃぐちゃに混ざりあって、ただ純粋に「悲しい」とか「悔しい」とかの澄んだ色じゃない、澱んだドブみたいな色の感情に脳や精神が支配されて頭が割れるように痛い、胸が抉れるように痛い 来世は二酸化炭素に生まれたい

ぼくの言う「必要とされたい」は「無条件でなにもしてなくても生きてるだけで永久に溺愛されたいけどそんな関係性代わりのかわいい子が見つかったらすぐ壊れてしまうから」の妥協案で「じゃあ代わりにぼくの持ってる能力捧げます」だから、必要なときにだけ都合よく呼んでくれたらそれでいいとはならないんだな クズだから

愛してくれると思ったのに

profile

被写体モデルとしてしか関わってきたことのなかった人と普通の人間として関わるようになること、そして普通の人間同士でもこれから交流を深めていきたいことから、新しくプロフィールを作ることにしました。共通点のある方フォローしていただけたら嬉しいです。
前に書いたことと多少被ってるとこはあると思いますが見逃してください(;_;)

・名前 赤星かなめ(ミスiDの時は平吉要でした)

・居住地 大阪府

・生年月日 2002.02.02(18)

・趣味 野球撮影(canon EOS7DMK2)

・バイト歴 大阪府の有名洋菓子店
ショッピングモール内洋食店
和食料亭
日本橋のコンカフェ

・これからする助勤 巫女(ガチ神職)
甲子園の売り子

・ちょっと誇れること VCI131
ミスiD2020ファイナリスト
剣道初段

・特技 何をしても、何をされても怪我や後遺症は残れど死なない

・好きな食べ物 焼き魚、じゃがいも、納豆、チーズ、鶏肉

・好きな作家 道尾秀介星新一

・好きな俳優 大泉洋本郷奏多

・好きなアーティスト ハンブレッダーズ、大森靖子andymori相対性理論GO!GO!7188

・好きなお笑い芸人 NON STYLEチーモンチョーチュウ、学天即、ラバーガール東京03キングオブコメディ、千鳥

・好きな二次元作品 銀魂ギャグマンガ日和いぬまるだしっ、バカテス、変態王子(全体的に古い)

・極度のADHDで部屋が片付けられません。金銭管理ができません。努力ができません。誰か結婚してください。


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