裸婦の目触れろ、白蝮踏め

安酒と薬にどっぷり漬かってラリりながら書いてるオナニー文章です

名推理

それまでも生きてきて失敗をしていないといったらさすがに嘘になるが、思い出せる限り人生で初めて救済手段のない、明らかな失敗をしたのが高校受験だった。

中1のときからなんとなーくだが見据えている高校があった。
だから、受験シーズンになっても他の高校も一応見学に回ってみるとか、説明会に行ってみるとか、そんな気はさらさらなかった。当時の自分には、必要がなかったのだ。成績もよかったので、その高校に当たり前に行けると思っていた。
周りの同級生が自分に見合う高校探しに奮闘している最中、ぼくは全く保険をかけることをしなかった。

しかし、出願直前の三者面談で担任から告げられてしまった。
「通らないと思うので、受けさせたくない」と。
入試当日の得点見込みなら、十分合格はあり得たはずだった。
しかし、高校の出願にあたって、中学校は出席日数、授業態度、日々の通学にのぞむ様子など本人の人格を調査書に記して提出する必要があったのだ。そして、欠席が多く日々の小テスト・定期テストをあまり受けてこなかったため、内申点(評定)も41/45と志望校が求める水準をギリギリ満たしていなかった。

担任から受験校を変更するよう指導され、地元の偏差値65くらいの高校に変えた。
自転車で通える距離にありながら、志望生徒全員で願書を取りに行くまで、その高校の場所も外観も知らなかった。

目標が立ち消えになって、ぼくはその日から勉強をやめた。
試験当日も一瞬見て難しい、めんどくさいと判断した問題は容赦なく飛ばしたため、半分以上時間を余して落ちた。


滑り止めの私立高校に通うことになったぼくは、一学年上の男子生徒と知り合った。
一年生のうちは授業を受ける校舎も違ったので、学食で担々麺を食べるときにしか会うことはなかったが、比較的無口だった自分とも会話が不思議と弾み、とても楽しかった。
ずっとそれは単に趣味がことごとく似通っていたためだと思っていたが、後から振り返ると全く違う、もっと根本的な理由があった。
そのころ、地のコミュ障が災いして案の定自分はクラスで孤立し、テストの点数とその先輩との会話だけを目当てに学校に通うだけの状態にさしかかっていた。心身が音を上げるのはもう秒読みだったと思う。

あるとき、先輩がどんな会話の流れだったか、精神科の受診を勧めてきたことがあった。
そのとき自分はなにも生きていておかしいところがあったと自覚していなかったので普通に「不思議な指摘だったな」と聞き流していた。

だが、ある時他の生徒とのトラブルで担任といさかいを起こした時期をきっかけに、ぼくは体を壊した。
いくら大病院に行って何度精密検査を受けても原因を突き止めることができず、結果たどり着いたのが奇しくも精神科だった。


診察室に入るよりもっと前、問診票に記入しているときから妙な違和感があった。
なんで、ついこの間まで普通と思って受け入れてきたことが、病状を知らせるためのこの紙に書かれているのか。
なんで、ほとんど全部にしっかり自分が当てはまっているのか。
精神科は、無気力で働けないくらいしんどい人が来るところだと思っていたのに。
そう、自分には無縁な……

そして帰り道、なんで処方された薬の薬価がこんなに高いのか……
初診で出されたこの薬。それが紛れもなく、医療のプロから下された答えだった。


あれから4年が経つ。
青春の大半を厚い壁の中での暮らしに捧げた。
治るどころか、自立どころか、新しい病名が増えてる。

はじめのうちは、ほぼ初対面と変わりないくらい付き合いの短い先輩がなぜ自分すら気づかなかった障害を見抜いたのか、不思議だった。
けど今はわかる。
長く病気を背負って生きていると、それを自覚して、常に意識して生きることを強いられていると、自然に人の足りてない部分にも目が行くようになってしまう。
コミュニケーション上の些細なすれ違いやミスに、「あっ……」と気づいてしまうことが多々ある。
それがたぶん……なんというか、同じ立場の人間であれ、相手に伝わるレベルに達している時点で、大抵その違和感は的中していて、もう救いようがないものであることも経験則で知っているので、あえて向こうも多く語らなかったのだろうとも。

知らなければ今こんなに人生に絶望することもなかったけれど、ゆくゆく社会に出て自分で気づかざるを得ないはめになったときのどん詰まりもすごいと思う。
かといって、今自分が劣等種であることの自覚と罪悪感は何物にも代えられないほどの重さだ。

精神科を勧められたというだけのその一言が、今まで歩んできた人生で犯したミスのすべての伏線を回収していった。
その言葉に何度も殺されたし、何度も命を救われた。
それをきっかけに送ることになる生活の中で将来の夢を見つけたし、同時にそれが自分には遂行できないものであることも知った。

めんどくせえ書くの飽きた早く殺してくれ

大阪弁を話せない大阪人

入院中、看護師さんに言われたことが今でもそのまま自己評価になっています。

「かなめちゃんはすごく頭がよくて自立してるから、周囲を近づけさせない、必要としてないって空気に見えるけど、本当はすごく人が好きだし、仲良くなりたいって思ってるの伝わるよ。
確かに話して打ち解けてみると人並み外れてボキャブラリーが豊富だから時々めっちゃくちゃ口が悪いな!?と思うことある。
だけど人に対して面と向かって言っちゃいけない言葉の境界線はきちんと弁えてるから不思議と不快になることはないし、なんか面白くなってくる。
ただ、一度心を開くとうまく閉じられない性格なんじゃないかな。
かなめちゃん、人一倍口は悪いけどそのぶん人一倍やさしいね。やっぱり大阪人だ笑」

と言われたのです。
自分の中でコミュニケーションの欠点になっている部分は、この「一度心を開くとうまく閉じられない性格」にあると思います。

なんというか、こう見えてぼくは人を軽々しく信じすぎるきらいがあります。
生まれつき愛されて育たなかったからか、この歳になって未だに人に好きになってもらうことが大好きで、少し自分を見てくれる人がいるとすぐになついてしまうのです。
そして、徹底的かつ一方的に依存し、裏切られて嫌われてなお信じ続けることをやめられないというある種の負のループです。

自分が相手に依存してさえいなければただの八方美人で済む話なのですが、相手に見切りをつけられる頃にはぼくのほうが相手のことを大好きになっていることが多くて、毎回とても傷つきます。

当然ぼくのほうも毎度毎度嫌われ役に回るのも癪なので、愛される努力はしてるつもりです。
会話の返答は相手の神経に触れないか何度も吟味しながらも面白みを失わない言い回しを意識して返すし、行動も細やかな気遣いを欠かさないよう常に気を配り、美的感覚・金銭感覚も一致するよう相手に合わせます。
それでも気づけばひとりになっているのは、前世で国を13個滅ぼしているからだと思うのですが。

思うんですが、常に周りに人がいてみんなから愛されてて、そんな人ほど人からの評価だとか好かれてる嫌われてるみたいなことに全く興味や執着がないように見えるのです。
さすがに善悪や美醜の区別はあっても、自ら計算して人からの信頼を得ようと行動していない。そしてこの点こそが人を惹き付ける魅力の決定打になっている気がするのですよね。

結局、生まれつき何故か愛されて肯定されて育った人間には勝てない。
あれって絶対才能なんですよ。ちょっと卑屈に生まれてしまったら、否定されて育ってしまったら、万人ウケは絶対に後付けできない。

だからぼくは、自分の書きたい言葉で書きたいことを書くし、それを好んでついてきた物好きにだけ評価されればいいと思うようにしたし、ぼくの言動で幻滅されるようなことがあっても、それはぼくを好きになったあなたたちの引け目、惚れた弱味です。というスタンスで生きることにしました。

まあ、それがうまくできないのがコミュ障なんですけどね。
とりあえず、人を好きになるのをやめることから始めたいと思います。

大阪弁使えないくせに中身だけ大阪人でも損するだけですしね、

かなめチャンスターターセット

ここ2年半で100記事近く書いてきてたと最近知ったので、ぼくに興味を持って来てくれた人もさすがに一つずつ追うのがしんどくなってくる頃だと思いました。
実際記事の中にはほとんど更新数稼ぎの意味不明ポエムやただの不幸自慢も含まれてるので、正直それを読んでほしくもないので……
なので、独断と偏見と虚栄心と自己顕示欲によって各記事に「文章力」「簡潔さ」「中身の濃さ」「ぼくの好み」「おすすめ度」の5項目に5点満点で点数をつけ、ランキング形式にしてかいつまんで特別これだけは読んで帰ってもらいたい!って記事をピックアップしました。
1記事読むのに要するのは5,6分だと思います。よかったら好きになっていってください。


7位-「死の季節ゼロヒャク」2019.04.20
“死の季節”をテーマにして、完全性と不完全性をぼくには珍しい論文調で綴った文章です。入院中に書いてたので、担当の心理士さんに読まれてひとこと「教科書」という感想をいただきました。
文章力:3 簡潔さ:2 中身の濃さ:3 好み:3 おすすめ度:2 総合:13

https://ssb84t.hatenadiary.com/entry/2019/04/20/204016


6位-「野球嫌いは直らない」2019.6.22
ぼくが高校でバイトはじめて甲子園に通うようになる前から、阪神ファンになる兆しは見えていました。今は昔、25番という選手がいたときの話。
文章力:3 簡潔さ:2 中身の濃さ:2 好み:3 おすすめ度:3 総合:13

https://ssb84t.hatenadiary.com/entry/2019/06/22/085428


5位-「償い」2021.02.27
凡庸の枠には収まらなかったけど、特別な力は持ってないぼく。でも、あるときからちょっと変わったある職業に就きたいと思っているのです。
文章力:3 簡潔さ:2 中身の濃さ:4 好み:3 おすすめ度:3 総合:15

https://ssb84t.hatenadiary.com/entry/2021/02/27/003526


5位-「社会不適合を知能指数で言い訳してみた」2018.12.16
記念すべき最初の1記事です。文字の色分け、写真の挿入なんかもちゃんとしていて記事として完成している上、伝えたいことも歳の割に客観的にまとまっています。
文章力:4 簡潔さ:3 中身の濃さ:3 好み: 2おすすめ度:3 総合:15

https://ssb84t.hatenadiary.com/entry/2018/12/16/185728


3位-「野球撮影選手はアイドル」2019.12.31
なんでシーズン終わったこの時期に投稿したのかは分からないが、甲子園でカメラやる時に気を付けてるポイントや設定について。ちなみにSMBC3塁側で毎回撮ってます。(カメラやる人じゃないと書いてること分からないかも)
文章力:4 簡潔さ:3 中身の濃さ:3 好み:4おすすめ度:2 総合16

https://ssb84t.hatenadiary.com/entry/2019/12/31/235448


2位-「sniffing curse」2019.06.25
香りにまつわる実話を描いた4篇からなる“呪いは嗅げる”という題材の短編集。
ヒトに限らず生物の五感で最も過敏でかつ記憶に残りやすいのは嗅覚です。思い出や習慣は、時に人の心に呪いをかける。
文章力:3 簡潔さ:3 中身の濃さ:4 好み:5 おすすめ度:4 総合:19

https://ssb84t.hatenadiary.com/entry/2019/06/25/114237

1位-「狂気がレントゲンに写れば」2019.08.23
雨の日、ある医師が精神科の図書室で見かけたひとりの患者。若い彼女は彼にだけ、誰にも言えない秘密を告白する。バットエンドとまでは言えないですが、救いのない話です。我ながらこのタイトルがものすごくお気に入りで、よく思い付いたなと見る度感心します。
文章力:5 簡潔さ:4 中身の濃さ:3 好み:5 おすすめ度:5 総合:22

https://ssb84t.hatenadiary.com/entry/2019/08/23/213134


全体的に初期の頃に書いた記事のほうが尖っていて良い味出してる印象。読書習慣と勉強習慣もっと大事にしよ……

償い

さっきTwitterで、前世の業でもなければ法務技官なんて目指さないってぼくが言ってて、ふと改めてよく考えてみたんだけど、今まで将来何になりたいか聞かれて法務技官、刑務所や少年院の心理士っていうと「なんでそんな仕事したいの?」って毎回言われてて、毎度のことで正直めんどくさいからテキトーに「自分と違う正義感や倫理観を見ておきたいから」て言ってた。
だって似たような職種の弁護士とか警察って言う人には「かっこいいね~」で済むのに、犯罪者のカウンセリングがしたいって言うと異常者扱いで好奇の目で見られる。だからこの際はっきり説明しておくと、この説明は半分○で半分×。


ところで、改めてぼくの患ってる病気について少し触れておく。もうこのブログでは何度目だけど、ここを理解してない人にはこの先は何度読んでも絶対に理解できないから。

ひとつはADHD
日本語名称を注意欠陥多動性障害という。
症状はもう読んで字のごとくでもあるんだけど、Google検索よりTwitterの方がリアルかつ切実な体験談をネタ調に書いてくれている人が多いので笑い話で済ませておきたい方はTwitter検索。
啓発系・元気に生きよう系のハートフルユーザーは体験談もそれに附随するメッセージらしき文章もくそしょうもない、コメディアンだったら親がテレビとっくに捨ててるレベルの宗教型インチキ自己顕示ボーダー(知能検査にかけると発達障害当事者でもなく健常者レベルの知能があるでもないかわいそうな子)が9割8分。
単純明快そうに見えるメンヘラ界隈は多くが主体となる疾患が愛着障害やパーソナリティー障害であって発達障害を併発しているかはわかりづらいので、浪人界隈と呼ばれるグループに属する人のツイートを漁るのがおすすめです。
余談ですが、慣れてくるとそのユーザーがADHD持ちか健常者(ボーダー含む)かということも、薬を服用している用量まで当てられるようになるとかならないとか。

話が逸れたので戻そう。
所謂発達障害。先天性。後天的な「育ち」や「教育」では絶対にならない。
生まれ持った脳機能の障害で、根本的な治癒法はない。基本的には青か白のカプセル「ストラテラ」という薬で長期的に改善していく。重度の場合「コンサータ」という劇薬を使用する。この薬は精神科医の医師免許のほかに精神保健指定医といわれる特殊な登録を受けた医師のみが処方できる第一種向精神薬。現在は診断を受け処方箋を書く病院経由で診断書と個人情報の書類を役場だか保健所だかに提出し、許可申請が通ってからようやく処方される。
覚醒剤と名高いリタリンを体内でゆっくり押し出す構造のカプセルに詰めただけのお粗末と言えばお粗末な仕組みだが、これの困ったところは半日しか薬効が持たないところ。当然成分は覚醒剤と同じなので半日以上効かれると困るは困るのだが、朝飲むと夕方まで持たない。だから毎朝飲み続ける必要がある。一生。
しかし驚くべきところはそんなところではない。「飲み忘れる」のだ。しかもADHDでこの薬を処方されている多くの患者が。これがないと社会的死しか待っていないのに、やれ寝坊して昼を過ぎてしまったから(不眠になるため昼を回ったら原則飲めないよう指導される)だの、朝ごはん食べたらそのまま遊んでしまっただの、仕事が長引いてうっかり……だの、理由は各々考えて言い訳はするが、大体診察の度に主治医に叱られて帰ってくるだろう。
母親に「もうお願いやからコンサータだけは飲んで……お金払ってんねんで……?」とガチ泣きされたぼくが保証する。ちなみに薬価は1錠400円である。

そのADHDの障害に気づかず16年生きてきてしまったがために二次的に発症してしまったのが双極性障害。所謂「躁鬱」である。
これは後天的なもので、置かれている環境や生い立ちに関する記憶などがとても強く関与している。
「鬱」のときは、何を見聞きしても心が動かされず、何を食べても味がしない。人と話していても会話のテンポに脳がついていけずまったく面白くない。かといって外出する元気も体力もなく、飲みたくない薬を飲むためだけに嫌々でも食事がとれるならまだいいほうで、たいていは寝付くこともできずずっとただ寝転んで一日が終わる。

「躁」のときは、テンションが異様に上がり、眠れなくなり、落ち着きがなくなり、過食に走ったり逆に拒食に陥ったりする。(なんか食べなくても死なないので食べなくてもいいと思う)
一般には「鬱」のつらさが語られることが多いのであまり躁転期の苦痛は知られていない。しかし何をやってもうまくいく時期かというとまったくもってそうではなく、むしろテレビの音は飽きてうるさいつまらない、本を読もうとしても目が走って内容が頭に入ってこない、音楽も雑音にしか聞こえない、人と会話が成り立たないなど決してまともに社会生活を送れる状態ではない。

ただ、塞ぎこんで無気力で寝ているだけなら病状としては比較的心配ない。しかし怖いのが、「鬱から躁」に移るとき。
体が追い付かないまま気力だけ一気に回復してしまうのだ。異常なほどに。

だから、自殺する患者がとくに多いのがこの時期なのだ。

ぼくくらいの年齢で精神疾患を患ってしまうと寛解はかなり難しく、多くが老いるのを待たずに死んでしまうと聞く。

どちらにせよ人とコミュニケーションがとれるような状態ではないので、普通の人間関係の構築はまず不可能になる。


ここからがぼくの主張なのだが、犯罪者のうち思っている以上に多くの比率でそういう背景を背負っていることに誰にも気づかれないまま裁かれる人がいると思うのだ。
そういう人は大抵罪を犯している自覚がなかったり人を傷つけている感触を感じるボーダーラインが人と相違していたりするので、きっと再犯率も高い。
そういう人を心理調査で見つけ出して、健常者とはまた違った接し方で関わっていくことでその根本にある障害や問題を解決するように努める、それが社会の秩序を守る方法のひとつでもあり、自殺や心中などの誰も救われない結末を辿る人が減る結果にもなると思うのだ。

しかし、普通に接しているつもりなのにいつの間にかいさかいになっているこのもどかしさ、自分をわかってもらえない苛立ち、目の前の人間と理解しあえないと分かったときの絶望感は絶対に当事者にしかわからない。だから、精神疾患を持っている患者かどうかは話をよく聞いた医師か、同じ経験を持つ当事者同士にしか見抜けないはずなのだ。それこそ被告人の薬が捜索で出てきたとか、保険証の提出履歴に個人で「精神科」として看板を出している明らかな精神病院があったとか、明確な証拠がない限り。

その「明確な精神障害者」の処分はぼくらの支配領域ではない。面倒なので検察と裁判官に任せる。どうせ執行猶予がつくか悪くても3,4年で出てくるだろう。

ぼくが社会に更正させて送り出したいのは、それまでの人生で障害や疾患に気づかず診断も受けたことがなく、そんな病気知りもせず、もちろん自分がその病気の患者だなんて疑いもせず、ただみんなと同じようにまっすぐ生きたかっただけの、その方法を少しどこかで間違ってしまっただけの立派な人間だ。

刑務所や少年院で会った人間とはどれだけ仲良くなっても刑期が終われば別れが来るが、自分の体とは死ぬまで別れられない。
まだ家族や大切な人を殺されたことがないからこんなことが言えるのかもしれないが、ぼくは刑法が定めた刑期よりも長く罪を償い続けることを強いられるのには反対だ。出所しても個人的に現場を見舞って花を供えたりお詫びの挨拶をしに行って追い返されたりするのは自由だが、それはあくまで罪人本人の罪の意識から来る行動だから価値があるのであって、法で定められた刑以上の罰を誰かに命じられているのであればそれはその人の個人的な尺度であり、利己的な恨みだ。司法の名の下でそのようなことをしては、法のもとの平等が崩れてしまう。

だから、お務めを終えたらその罪からは解放されなければいけないと思うのだ。
なのに犯罪者だからと精神疾患を無視して、否定して無責任に社会に追放してしまうと、根本の問題が解決していないのだからそいつは必ず戻ってくる。人を殺して。物を盗んで。異性を犯して。
摘んでやらない限り、治らないのだ。彼らに必要なものは罰ではない。反省の時間でもない。治療だ。そうしない限り、彼らは永久に罪を償えない。

一部の障害者にとって、社会こそが監獄そのものなのだ。
迫害され、差別を受け、侮辱され、生きることを罪と捉えるようになる。そうなれば人の一生は簡単に罰になる。誰も傷つけていなくても、あるいはその罪を償い終えていても、死ぬまで十字架にかけられ続ける。


法務技官ひとりができることはほんのわずかかもしれない。グラフで見れば、犯罪件数なんて1ミリも減っていないかもしれない。でもこれは、生まれたときから終身刑にかけられているぼくが人に施せる唯一の善行なのだ。

なぜ写真に写るのか

被写体を卒業して改めて実感することは、自分って表現力ルックス技術アイデア色々ほんとに未熟で終わったんだなとか、見えるところでも見えないところでもカメラマンさんに支えられて生かされてきたんだなってこととか、本当にいろいろありました。でもただ「辞める」って言い方ではなくてわざわざ「卒業」って言葉を使ってるだけあって、そのすべてにとりあえずは一旦満足して区切りをつけて、自分は人より優れた容姿を持っている訳でもちやほや愛される才能を持っていたでもなく、ただただ身の回りに転がっている「羨望」や「憧れ」なんかを自分で趣味として提示して、それにたまたま運よく目をつけてくれた人についてきてもらってここまでこれただけの単なる一般人であることを自覚し直して、被写体を卒業してからここ3ヶ月生きてきました。
可愛い、綺麗、かっこいい、憧れる。そんな畏れ多い言葉をもらえたのも一度や二度ではありませんでしたし、最後には被写体活動を通じてできた仲間とはじめてペアで撮影することもできました。コロナで開催は叶わなかったけれど、企画していた生誕祭イベントには会場としてほとんど無利益で場所をお貸しくださると仰ってくれたバーの方にご協力いただいたり、ミスiDに出たおかげで知れたとてもセンスのある画家さんにお越しいただける手筈に運べたりと、最後の最後までぼくの思い出作りに協力してくれる人が残ってくれました。本当にありがたいです。

でも、ひとつだけ叶わなかった……目標、いや、目標というのはあまりにも手の届きそうな位置にいたような言い方になってしまうので、理想……でもなく、幻影。そう。幻影がある。

笑ってしまうかもしれないがかまわない。いやむしろ笑ってもらいたい。そんなに甘くはないと笑い飛ばして、下らない幻影だったと受け入れさせてほしい。

ロックバンドのMVに出たかったのだ。

全く売れてるメジャーバンドでなくてもいい。むしろ、学生さんや社会人と両立しながら夢を追っている、どちらかといえばインディーズのバンドのMV製作に携わりたかった。メンバー達が産みの苦しみを伴ってこの世に送り出した5分間の舞台で、与えられた新しい自分を演じたかった。

理由はいろいろあって。
まずはありきたりだけど、自分自身が音楽に、とくに日本のロックンロールミュージックに助けられてきたからだ。
ひっきりなしに脳裏に書き込まれていく生きることへの満ちたりなさを解放する手段を何一つ持っていなかったぼくは、病院帰りふと何の気なしにCDショップへ入った。これまで音楽になんの興味も持たず育ってきたぼくが試聴コーナーのヘッドフォンを手に取ったのもただただ偶然で、食べる気にもなれない昼食の時間暇潰しがしたかっただけだった。
しかし、再生ボタンを押した直後に聴こえた音は、流れてくるというより“襲いかかってくる”という表現が正しいと、本気でそう思った。
かくして、浮いたはずだった昼食代はハンブレッダーズの純異性交遊に化けた。
入院中、昼も夜もなく突然襲いかかってくる不安発作や不穏な衝動を、退屈が生み出す偽の寂しさや愛情への欠乏症状を、ときに暴力的なギターの旋律で叩き壊し、ときに慈悲深げなベースの祈りで甘やかしてもらい、ときに規則正しいドラムのリズムで修理され、そしてときにボーカルの詞でそのめんどくさい感情を涙や頓服薬に換えて眠りについた。
病院のコード禁止処遇で靴紐やジャージの腰紐まで没収されたが、イヤホンだけは絶対に渡さなかった。

音楽に明るくないぼくでも、知らず知らずのうちに音楽に命を救われてきていた。
それに気づいて、就職するまでの間何か音楽に携わっていたいと思うようになったが、ぼくは歌声を失ってしまっているし、ギターの技術もないし、ほかの楽器なんて触ったこともない。そこで、音を奏でられなくても楽曲の気持ちを伝えられる立場を唯一思い出した。それがMVに出演している俳優だった。
CDディスク文化の廃れ始めた現代、デジタル媒体で配信される楽曲たちに次に求められるものは「視覚情報」だ。脚本・監督・撮影・制作にそれぞれ別々の大人がつく100分尺の映画や連続ドラマと違う。
極限まで予算や人件費を抑えているであろう現場で、アーティスト本人と比較的近い距離に立って、それも監督や脚本家に作り出された自分と違う名前で生きる場所も生きてきた環境も違うとある一キャラクターに対して与えられた台詞ではなく曲の場面展開に合わせた表情や動きだけで赤星かなめ自身として感情を表現し、それをコンパクトな時間に収めるというのはとても難しいと思うが、だからこそ作品ひとつひとつに責任や思い入れが生まれる。
携わったバンドがいずれ人気になっても自分の作った、奏でた音楽は絶対に忘れない。その中で、その楽曲の中に自分がいることを覚えてくれている人がひとりふたりいてくれればぼくはもういつでも死ねる。
逆に音楽を諦め、全く違う道を歩むことになったとしても、活動してきた軌跡の中に残る誇りの中に一瞬でもぼくが関われれば、生まれてきた意味になる。

もしも世の中の全員がMVのぼくをみんな忘れてしまっても、それは楽曲の印象にかき消されたということであってむしろ喜ばしいことだ。そのバンドの楽曲がそれだけ素晴らしい作品ということでもあり、楽曲のイメージにそれだけ溶け込むことができたということだ。

動画のサムネイルを見るとMVの俳優はクローズアップされているように見えるが、実はいちばん陰からアーティストの成功を祈り、願い、支える助手役なのかもしれないと思っているし、そういう俳優になりたかった。
そして、素晴らしい音楽を作れるのに誰にも見つからず燻っているバンドと一緒に成長して、将来ぼくが法務技官になったとき公務員になったことへの喜びや祝福よりも先に「俳優やめてしまうなんて悲しい」がつい出てくるような存在になりたかった。

自分じゃなにも作り出せない、発信できないから、嫌なことあっても言えないから、ちゃんと自分の意思を伝えられる人達に憧れてた。ましてやそれを、誰も傷つけない音楽という形に昇華して広く伝えられる才能が欲しかった。だから、聞いてどうこう批評するだけの受け取り手の立場じゃなくて、なんとか発信元の近くに行きたかった。そして、交換手のような立場を見つけて、自分なりに頑張って足掻いてみて、それなりに評価してくれる人は評価してくれる立ち位置までは来れたけど、その夢には触れることもできず単なる憧れに終わった。

……と、最終的にはこういう私利私欲に帰結してしまうのだけれど、まあ……みんな誰しも一度は青春時代に憧れただろうミュージシャンという存在に、ひとりぼっちのぼくもちゃんと憧れた。
夢として具現化する形は人とちょっとズレてたけど、ちゃんと自分のもとまで音楽を届けてくれる恩人に出会うことはできていたし、言ってみればただの音の羅列にすぎない音楽というものに対する「好き」という気持ちも人並みにちゃんと持っていた。

楽器を持たなくても音楽はできると証明したかったっていうのがいちばんの理由だったかな。
だからその幻影を叶えないままカメラの前に出るのをやめてしまうことになって、ちょっと悔しい。

ゆめにっき

今日見た夢の話。①

山のなかのとある一軒家を訪ねる番組だった。ぼくはテレビからその番組を傍観していた。
家には主人と婦人、顔を出した長男と長女、その下の兄弟たちは成長していたがお面で顔を隠していた。
長女は癇癪癖があり、しょっちゅう奇声を上げて夜中に家中の人をたたき起こしていた。
しかし主人も婦人もその事についてなにも詳しく説明してくれることはなく、泊まりのロケは続いていった。

あるとき、長女の婚約者が家に挨拶に来ることになった。
宴もたけなわ、彼が3本目のコーラを開けた時、突然彼は意識を失い、椅子から転げ落ちた。
幸い大事には至らなかったが、その日の長女の癇癪は酷いものだった。
家のなかの家財道具をさんざん荒らし回り、ロケスタッフに怪我まで負わせた。

そして問い詰めて問い詰めてついに、主人と婦人の口からその理由が明かされようとしたその時、長男が割り込んできた。
「俺だよ。ろくでなしの姉ちゃんに縁談の話が舞い込んで浮かれてやがるから気持ち悪くてよ、寄生虫たっぷりな野犬の肉出してやったんだ」

「ほかのやつは……お前はなんで無事で……」

「それはお前、あれだよ。うちで作ってるコーラ。コーラは整腸作用があるって言われてる。あれを普段から飲んでるから助かったんだろうな」

「馬鹿お前……!ここの息子やってて知らねえのかよ……!
ここのコーラは故意に用量の13倍以上の整腸剤を混ぜもんに入れてるホンモンの整腸剤だ。これ飲んでるやつが寄生虫に倒れるわけないわな。申し遅れました、○○という番組の覆面調査員でした」
「調査……員……」
「そして……あなたの幼馴染です。あなたは昔、体調不良を訴えた私に猫を食べさせようとそれはそれは大きな猫を捕まえて私の目の前で溺死させ、捌いて出しました。でもおかしいんです。猫の野性の本能をなめてはいけません。あなたの力なら本来、その猫の半分もない猫を溺れ死なせるのも至難の技です。なのにあんな大きい猫を……あれは大量に薬を与えて実験に使われ、ひどく弱っていたのを知っていたからですね?」

自らを殺されかけたと知って、婚約者の彼はもう家には近づかないだろう。
それを理解してかせずか、朝になっても長女の癇癪はおさまらず、ついに自ら喉を切って自殺した。


今日見た夢の話。②

髪食いそば……というものを知っているだろうか。
山奥のとある神社一社がかつて納めてくれた頭髪に対してそばを出し、それを10日かけて食べる。10日以内に食べきってしまったもの、10日以上かかってしまった者は行方知れずになるが、ちょうど10日で食べきった者は必ず願いが叶うという。
現在は表だってやっているメニューではないらしく、唖者の巫女に手話で暗号を送り、認められたものだけが受けられる裏メニューとなっている。
取材班は長老から身ぶりを教えてもらい、そのおまじないに潜入することができた。
本堂から坂道を下ったところにまた神社所有の建物があり、そこに10日間こもって儀式を始めるらしい。

髪を抜いて入れた袋に願い事を書くのだが、彼女だけペンが平形のフェルトペンで、司法試験合格を願った彼女の願いの内容にはそぐわない汚い字になってしまった。有名な神社なのでもし知り合いに見られたら恥ずかしいと、「名前は書かなくてもいいか」とつたない手話で巫女に聞いた。「書いた方が確実。でもお社さまは常に私たちを見ているのでだいじょうぶ」と返ってきたので書かないことにした。

ついに離れに入り、ほかの食べ物を支給されないよう鍵をかけられた。
「お手本を見せます」通訳されながら前に出たのは唖者の巫女で、「ほどいて」と書いた。
前のかごに袋をいれ、盆の前に立つ。透明な汁に潜らせて麺に口づける。
出汁を啜りとるだけで麺は決して口にいれずついに8日がたった。残りの2日でちょうど彼女の胃に収まり、正面の扉から出ていった。
次の月から彼女は唖者ではなくなった。

彼女の所作を逐一真似していた人たちは同じように出ていくことができたが、縮んだ胃袋にそばが入りきらなかったり、待ちきれず先に食べてしまった者だけは取り残された。
フェルトペンで願い事が汚くなってしまった彼女もその前者で、彼女はとんでもない嫌な予感を感じていた。それは予感通り、社の扉が開けられ不気味な男たちが入ってきた。男の手には赤い糸と針があり、彼女ははじめて「ほどいて」の意味を、巫女が唖者であった理由を読み取り、即座に逃げ出した。
勘のいいもうひとり、清水班長も逃げ出して、本宮で合流した。
「10日で食べられなかったら……口が、縫われる……」
「でも大丈夫だ、俺たちはこうして逃げてこれた……幸い、西澤と赤塚はちょうど食べきってた。願い事を叶えてくれるなんていっても、裏は必ずある。これからは美味しい話には気を付けよう」




清水班長は行方不明になった。
願い事に名前を書いていたので。

完璧主義

ちょっと冷静なので自己分析を。

完璧主義が過ぎるよ、と誰かに言われた。
自分に対しても他人に対しても、人との関わりに潔癖すぎると。

完璧主義。

ぼくは一度も自分をそんな風に評価したことはなかった。だって、なんにも完璧にこなせてないから。
仕事だって勉強だって容姿だって全然だめで。
完璧主義を名乗る資格も実力もないのに、そんなかっこいい言葉で自分に名前をつけられない。なんか茶化してるみたいで。

でも最近気づいてしまった。
ぼくはすごく完璧主義だし、コミュニケーションに潔癖だ。

具体的な内容は思い出すと辛くなってしまうのでもう出さないことにするけど、常に何があっても自分が絶対正しいとどこかで思ってる節がある。
だけどその根拠と自信がないから、途中まで完成していた作品を見ないように放り出してしまう。
まえにどこかで言ったことがある気がするけど、ぼくは「ベストがだめならベターを求めて常に全力で生きられる」、愛される頼られる熱い完璧主義ではなくて、「ベスト、いや満点以外無価値。だから99点までいってても、100点に自分の実力が届かないなってわかった時点で0と同価値に感じてしまって全部捨てて逃げ出してしまう」、弱気で短気で自己愛の強い、好かれるはずのない完璧主義なんだ。だから作品の完成度が低くても、「いや、それはもうぼく関係ないから」で済ませて人に後処理を全部押し付ける、最低な人間だ。
幼い子供と同じ、100%思い通りにいかないと駄々をこねだすのと全くいっしょ。

小出しに人にあざとく甘えられる人は完璧主義とは言わない。だけどそういう人の方が世渡りは上手だし長生きもできる。

ぼくは限界まで抱え込んで全部ひとりで解決できたらいいな~なんて夢みたいな理想ぶら下げて、たぶんヒーローになりたくて、やれますやりますやらせてくださいって図にのって背負い込んで、期限ギリギリまで先送りにしてどうにもならなくなってから人に丸投げするんだ。
そんなだから人にいざ頼りたいときにも誰もこっちを向いてくれないし、手もさしのべてくれない。そっか、ぼくが誰からも嫌われるのは、そういう空気をみんな察知してるからなんだ。
リスカまみれのメンヘラ女の周りになぜか人がたくさんいるのは、「助けて」って些細なことでも大袈裟に人にすがっていけるからなんだと。

ぼくはそれが恥ずかしくてできない。
何かを人にねだるとか、頼るとか、厚かましく生きることがどうしても羞恥心と虚栄心が邪魔をして不可能なんだ。

なんかぼく思った。今までぼくを見捨てたとか見限った人たちはみんなきっとぼくがいなくなってしまっても誰も自分のせいだとは自覚してくれない。みんなそんな話スルーして、それぞれ幸せに生きる。
だって、見捨てられたって思ってるのはぼくだけで、相手はそんなつもり全然ないから。罪悪感や責任感なんかなく、ただもう見るからに救えない状態、あるいはもう死んでる状態の醜い姿で発したレスキュー要請を、「うちでは無理ですーもう助からないですー」って突っぱねた。ただそれだけ。
骨が折れてるとか、胃に穴が空いてる程度なら治せても、もう腐りかけてる死体を生き返らせるなんて無理難題押し付けられたらみんなそうなるに決まってる。
仮に助けられたとして、助けてくれた恩人の頭通り越して向こう側にある死とか快楽しか見えてない真っ黒で光のないぼくの眼をみたら、ああ助けなきゃよかったって、次からもう手貸すのやめとこってなる。

だからなんにも知らない新しい人と会って逃げ道を作ろうって知らない人に会いまくって、通過儀礼というかぼくを肯定してくれる報酬みたいな感じで安易に肉体を差し出して、結局相手はそれだけが目当てでぼくを支える気なんてさらさらなくって、ホテル出たその足で去っていってぼくとバイバイまたねって手を振ったその手でぼくをブロックする。
期待してたぼくの手元に残るのは、相手のいない空っぽの連絡先とそれでも毎日飲み続けるピルのヒートだけ。


友達なんていらない。
一緒に遊ぶと時間も使うしお金もかかるしそのくせぼくのこと愛してもくれない、庇ってもくれない、なんにも気持ちよくない。友達にはもっと大事な友達とか恋人いるし。
たまに思い出したようにLINEで連絡とってたまにフードコートで何時間も話してプリクラ撮って、でもその会話も次の日になったら思い出せないようなクソみたいな話題ばっかりで、プリクラだって帰ったら捨ててるんでしょ。

こうやって、ぼくは他人との関係のこと自分にメリットないと成り立たせる気もない、それぞれバックグラウンドのある他者の人生奪っておいて自分は相手に全然興味ない、誰よりも冷徹で潔癖な、社会に出てきてはいけないタイプの人間なんだ。

単に協調性がないとか仕事ができないくらいのことなら「個性的」とか「多様性」って今風の言葉でまだ理解も得られるけど、ここまで人格が地に落ちてたらそりゃあ誰も拾ってくれない。

ぼくが一見すごく博愛主義に見えるのはみんな平等に愛していればひとりくらい平等に愛し返してくれる人がいるかもって汚い考えからだし、そんなだから人と仲良くなろうと頑張ってもその人じゃなくて「その人とちゃんと仲良くできてる自分」を見て会話してるのがバレバレで、絶対一定以上踏み込んでくれない。

そもそもの話、平等に愛し合うってことは自分が積み立ててきた愛情以上のものは絶対返ってこない。
なのに人間って欲深いね、「俺にはお前がいないと生きていけない」ってくらいズブズブに依存されたいし、なんの下心か礼儀か分からんけど、ちょっとでも平等以上に色付けて返してくれる人には簡単に依存してしまう。

元彼がそれだった。ぼくがうーたんのぬいぐるみ欲しがったりハム太郎のスタンプ使ったりするだけでかわいいかわいいって溺愛してくれて、生きてるだけでかわいいよって抱き締めてくれた。ぼくはただ顔がタイプな人に付き合おうって言われたから、あと彼氏いなくて寂しかったからノリで付き合い始めただけだったのに、倍くらいの利子つけて返してくれた。
だから毎週3回往復1000円以上かけて会いに行ったし、毎回自腹でご飯作ったし、バイトも頑張ったし、毎回毎回ちょっとでもかわいい自分で会いに行こうって朝1時間くらいかけてメイクして苦手な電車で会いに行ってた。彼はすっぴんの方が好きだったみたいだけど。
ぼくにかけてくれた時間やお金がぼくのかけてあげられる愛情を超えてるって彼が気づいてしまったら、すぐフラれてしまうってその一心だった。そのときにあんな女に目かけて損したって思われたくないって気持ちでずっとずっと頑張ってたら、そのうち本当にぼくの方が好きになってしまって、トントン拍子に自分の意思で彼に奉仕してしまうようになって、気づいたらもう逃れられなくなっていました。

その一方で彼は最初にぼくを愛しすぎた反動か、太ったとか眉毛が太いとか、自分の理想じゃなくなったぼくを簡単に切り捨てて嫌いになりました。本人は嫌った訳じゃないと言うけど、ぼくからしたら好きじゃないなら嫌いなのと一緒です。0か100しかない完璧主義なので。


完璧ってなんなんだろう。
存在しない「完全」の限りなくクオリティの高いコピーを作れるようになって、それがいったいなんだっていうんだろう。
ぼくが19年間目指し続けてきたものって結局ただただ天国まで続く高い鏡に向かって、自分の背丈で触れられる高さまでめいっぱい手を伸ばしてジャンプして、ただそれだけだったんじゃないかって。
うまく人に頼れる人は、梯子を持ってる人がいたり階段を作れる人がいたり体張って肩車してくれる人がいたりして、そういうそれぞれの個性をうまく生かしながらぼくより遥か高いところでみんなに応援されながら生きてる。

それを傍目に、人に凭れるのが恥ずかしくてぼくは何度飛んでも届かないし体力も限界だしでだんだん繰り返しジャンプしてるときの鏡に映った自分の顔見て「ああ、ブスだなぁ」って思って完全に絶望して、他に応援したい人がいる誰かに最後にひとつだけ「硬いものを貸してください」ってそのときだけ愛想よく笑って言って、目の前の鏡を叩き割って手首を切る。
どうまかり間違っても死ねないと分かってるのに、それでゼロに、なかったことにできると一縷の望みを破片に託して。


ここまで正解が出てるのに生き方を変えられないのは、やっぱりこういう性格だからなんでしょうね。正直言って、自分でもかなり重症だと思います。
こんな人間が動物の命奪って食べて、呼吸で二酸化炭素増やして、地球に申し訳なく思います。


完璧に生きられないのなら死にたい