裸婦の目触れろ、白蝮踏め

安酒と薬にどっぷり漬かってラリりながら書いてるオナニー文章です

耽美的無限ループ

「はっ、はっ……あぅ……っ」

ぬかるんだ坂道を、木々を縫いながら駆け降りていく。
何度も滑って尻餅をついては再び立ち直り、追っても来ない何かから逃げて無心で走り、走った。
手のひらは赤黒く染まり、同じ血液が彼の白いシャツをも汚していた。
痛みはない。当然だ、彼の血ではないのだから。

つい7分前、山中の宿泊施設でひとりの女性が殺された。遺体はまだ見つかっていない。このまま夜が明けるまで、人の目に触れることはないだろう。
彼女、いや……まだ少女と呼べるその女性は、白い腹の肌に穴を空け、そこから溢れた血で床は鮮やかに染まっていた。
幾度となく振り乱した長い黒髪はざんばらに乱れていて、当たりを外した刃物によって所々雑に切り落とされている。

「……ぁ、」

ようやく険しい山の斜面を通り抜け、軽自動車がギリギリ通れるだけ整備された山道に降り立つことができた。
段差から飛び降りる ザッ、という足音が、遠く、遠くまで貫通した。

だれもいない。
なにもない。

そう思って一段大きな深呼吸をしようと息を吸い込んだところで、空中にそれを吐き戻すことができなくなった。
肺胞ではとっくに吸い込んだ空気の酸素が取り込まれ、着々と二酸化炭素を精製しては、それを吐き出して新しい酸素がやって来るのを待っている。

しかし、呼吸を続けることができないのだ。
それを制する「声」があり。



「誰?」

つい今手にかけた少女よりも若い、それこそ年端もいかない幼女の声だ。

「……」

一筋吹き込んだ風が、彼の鳥肌をさらに逆撫でした。
無邪気な幼女の声、人を刺して逃げたすぐあとに聞く音として最も、といって良いほど不気味で恐怖を掻き立てる。
発狂しそうだ。いや、彼はとうに狂ってしまっていたのだろう。唇を震わせながらも、声を出すことができたのだ。

「……迷子、かな?」

「ちがうの」

「……近くに大人が、いるのかな」

「いないよ」


幼女の素直な口調に、少し安心した。
信用してよさそうだ。
大人がいるのなら、本当に詰み手になってしまう。

「……こんなところに、こんな遅くまでいたら危ないよ。はやくお帰り」

「誰“の”なの?」

幼女は確かにそう言った。
「誰」ではなく「誰の」と。
身体中のこの血が、彼のものではないと知っている。
しかし、振り返ることができない。声のようすからみるに、振り返ってつかみかかれば簡単に殺せてしまうだろう。しかし、体のすべての細胞がそれを拒否するかのように結束し、彼を拘束した。

「僕の、血だよ。上で車に跳ねられてね、そのまま逃げられてしまったんで、下りて警察に行こうとしたんだ」

「なぜ殺したの」

「殺した?」

「背の高い女の子」

「見てたのか」

「見えるはずないわ」

「じゃあどうして……」

「綺麗だった?」

「……え」

「綺麗だった?彼女の血は、肉は、骨は」
「美しいと思った?絶望した眼は、あなたにしか聞こえない喘ぎは、その刃物を通す度に鳴る喉は」

「…………ああ」
「とても」

「そう」
「人が死ぬ瞬間は、命がぐちゃぐちゃに潰される瞬間は、往々にして美しいものよ」

「さっき、それを身をもって味わったよ。
僕がそんな不道徳な人間とはいままで一瞬も自覚したことがなかった。
人間の血肉が、ひんむかれた目付きが、どす黒い血で染まった歯が、あんなに芸術的だとは思わなかった。人に手をかけなければ一生気づかなかった趣味だよ。
ところで君は、いったい何者なんだ」

「この辺りに住んでる」

「……そうか」

それ以上聞いてはいけない気がなんとなくして、彼はもう一度深く息をついた。
そして、妙な幼女を一度目に焼き付けておきたいと、勇気をふり絞って振り返ってみた。

「……ああ、そうか」

そこには、ただ山道にしなだれかかった檜の群れと若くして散った不運な木葉が散らばっているだけで、人どころか猫一匹いた形跡がなかった。

それを目にした彼はすべてを理解し、膝から崩れ落ち気絶した。



.




「…………生」
「……んせい」
「先生!」

「……うん……?」

「駅、次ですよ!こっから14km歩きですよね……うわあ、ぞっとするなぁ……練習、ちゃんとできる余裕あるかな……」

人に肩を揺らされ目を覚ますと、長い布袋を小脇に抱えた髪の長い少女がつり革に捕まって正面に立っていた。
列車の揺れが心地よく、眠ってしまっていたようだ。

「ああ、水分はしっかりとっておけよ」

「わぁー、すごい山!見てください先生、川の水すごい綺麗です!えー、なんでみなみや遥たちも呼んでくれなかったんですか!こんなの絶対喜ぶのにー!」

「あくまで主将のお前の個人練習だからだよ。遊んでいる暇はないぞ、期待してるからな」

ふふん、と少女は布袋を半分剥いて薙刀の先をいらった。


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これで142回目の、7月26日が始まる。
何度繰り返しても少女を殺めてしまうのは、これがある種の彼の自慰行為だからだ。
常識や道徳からはずれた耽美にふけり、少女の肉体を物理的に欲しがってしまう彼の狂った性的快楽は、彼が満足するまで永遠にループする。

その一周に区切りをつけ振り出しに戻す者は、形あるものでも幻でもなく“欲求”という“概念”であり、彼は何度7月26日を繰り返しても視界に捉えることはできない。



列車が終点の駅に着く。

彼は薙刀と鞄を背負い、少女を追って扉を出た。
一歩外へ出るなり丸っこい暑さと湿気がやさしく、かつ暴力的に彼らを包み込んだ。しんしんと熊蝉の声が頭を埋め尽くす。
さりげなく、鞄のポケットの柳刃包丁の峰を撫でた。

少女が軽く腰を折り、無人の改札から出た先でこちらを覗き込む。

「せんせ?」

「……なんでもない」

真夏の正午、二つの影が並んで山道を歩き出した。