裸婦の目触れろ、白蝮踏め

安酒と薬にどっぷり漬かってラリりながら書いてるオナニー文章です

カメラテスト、3分半かけてしゃべりたかった本命の文章

お久しぶりです。
平吉要です。
ミスiD2021のカメラテストがついに明日に控えていますが、参加者の皆様準備はできていますか?
ぼくはミスiD2020でも、こうして皆様の前でお話ししていました。去年3分あったはずの自己PR時間が1分に削られていて、本当に無理になった人も多いと思います。でも1分に減ったからこそあなたが出せた魅力、3分だと見られなかったあなたの表情がきっと伝わったと思います。悲観しないで、条件はみんなおなじなので!

さて、去年のカメラテストをご覧になってくださった方々はご存じかと思いますが、ぼくは発達障害ADHDと言語理解の高IQを併せ持つ2Eという種類のギフテッドです。

突然ですが、皆さんは「山月記」をご存じでしょうか。
有名な作品なので一度はお目にかかったことがある方も多いと思います。才能高く生まれた人物・李徵は、詩の世界では活躍することができず、悩みに明け暮れた末闇のなかへ飛び込んだきり戻らず。
翌年、監察御史の袁惨が嶺南に向かって出発しようという頃、一匹の虎が襲いかかってくる。その虎が発狂して行方知れずになった李徵が生まれかわった姿で、今では人間としての意識よりも虎としての意識を持つ時間の方が長くなっていると語る。そもそも自分が虎に成り変わってしまったのは、己の臆病な自尊心と尊大な羞恥心のあらわれ、そしてそれにかまけて自分の能力を磨かなかった怠惰な根性のためだという。

ぼくはこの山月記を高校の授業ではじめて読んだとき、なぜこんな自分への戒めのような超大作にこれまで出会えなかったのだろうと心から自分の運を悔いました。ぼくも幼い頃からあらゆる面で努力をしなくとも人よりも優れた能力を発揮することができ、その「努力せずとも才能でなんとかなっている」という部分に誇りを持っていました。また、人より劣っていたくない、低い地位で満足したくないという驕りの心も大きかったと思います。
なぜ、ぼくは虎になれないのか。
虎になるための臆病な自尊心と尊大な羞恥心さえも足りていないのか。高校生活と不登校生活の中で自分が全くもって天才などではないと齢16にしてようやく気づき、それでももう染み付いた堕落根性は塗り替えられない。すっかり、完璧主義を名乗るくせに努力もせず実力は中の上でマウントを取る扱いづらい厄介女になってしまった。そして歌声も文章力も体力もこの一年ですべて地に墜ちてしまい、あとには実現不可能な完璧主義とだらしない怠惰だけが残りました。

さて、容姿の魅力はあと何年後かには衰えてしまう。
ギリギリ見れる容姿であるからこの堕落が許されているのであって、入れ物の魅力が落ちてしまえばあとは中身勝負だ。その中身をぼくはあいにく持ち合わせていない。自分自身で捨ててしまった。

ぼくが姿を変えるとすればさしずめ鯰といったところだろうか。
獲物を見つけると腹がはち切れんばかりに、口から尻尾を飛び出せながら貪りつく。しかし水槽の暗いところにこもってたまに暴れるくらいしか出てこない。
興味のあること、好きなことはいくつも並行して熱中してしまう。しかし熱が冷めたらそれまでが夢だったかのように興味を失せ、暗い土管に引きこもり、たまに気に入らないことがあっては暴れる。
親の脛をかじるニートと変わらない。

親の脛をかじるどころか、ぼくは入院までしたいというのだから本当に親不孝ものだ。精神科に入院することを「個性」と勘違いしていた。その証拠に、治療が終わって退院したはずなのに病状は入院時より悪化している。精神を病んでいても受け入れてくれるミスiDに味をしめてしまったのだろう、すっかり精神科入院歴という恥じるべき経歴を武器にしようとしていた。

どうか、精神科を忘れさせてほしい。

「高校生で精神科に2年入院して、1年留年したメンヘラ」というマイナーなネガティブキャンペーンでぼくを見るのではなくて、ルックス、所作、ポージング、礼儀作法、学力、特技、趣味、性格。そういう純粋なもので見てほしい。

こんな不純な動機を認めてくれるのはきっとミスiDだけだと思いました。

精神科通いでも、留年してても、手帳持ちでも評価してあげるよという場所はたくさんあっても、仮に精神科通いじゃなくても、留年してなくても、手帳持ちじゃなくても、それでも生きている女の子だというだけで評価してくれるのはミスiDだけだと思っています。

ぼくを精神医療の呪縛から解放してください。そして、せめて虎にならせてください。よろしくお願いします。