裸婦の目触れろ、白蝮踏め

安酒と薬にどっぷり漬かってラリりながら書いてるオナニー文章です

1周忌

ぼくは去年の夏、ODであと10分搬送が遅かったら、あと数錠薬が多かったら、というレベルの生死をさ迷いました。
8月26日、2学期が始まって間もない日。隣の校舎の共用トイレの個室で起きた出来事でした。
倒れて体重のかかった腕は鬱血して紫色に腫れ上がり、もともと爆弾を抱えていた右足首の靭帯が倒れた拍子に再び切れていました。
致命的な低血圧で呼び掛けに応答することもなく、右足の付け根を切開して1本、そして喉に直接、太い管が挿入されました。

それでもようやく目が覚めたのは、9月になった急性期病棟でした。


ぼくは、こんな経験をしていてなお自殺が悪いことだと一概には言えません。
年間80万人が自ら死を選ぶこの地球で、どのラインが限界か、どこまで生命活動に耐えられるかというのもアイデンティティのひとつだと思うのです。

.

これが、ぼくがカメラテストで読んだ文章です。
自殺を実行し、失敗した。生き残った自分にしか体験できなかったことを詰め込もうとして、焦点の当てかたをミスってただの日記と化してしまいました。

当時のリアルな光景ももちろん時間があれば伝えたかったのだけれど、ぼくが言いたかったのはそういうことではないのです。
審査員の方々は「あれ?この子結局なにが言いたいんだ?」と気づいてくださったかもしれませんが。


ぼくはなるほど、8月に自殺を試みました。
足の付け根に消えない傷が残り、喉の挿管で内部を傷つけ、一生歌えない体になりました。(高い声が出せない)
ですが、その時どんな状態だったかとかどんな治療を受けたかなんて誰も興味ないと思うのです。

興味があるとすれば、「自殺に走った動機」「死に術にODを選んだ理由」「今でも死にたい気持ちはあるか」とか、そういうことでしょう。

このブログ記事を審査員の皆様が読んでくださるかどうかは分からないけれど、文章を作って1分に削る前の文章で弁明させてください。
それを見て、本当にぼくが伝えたかったことをわかってほしいです。審査に影響しなくても構いません。1分という枠に自分を納められなかったばかりに自分の人格や経験を誤解されたくないのです。


.



ぼくは去年の夏、ODであと10分搬送が遅かったら、あと数錠薬が多かったら、というレベルの生死をさ迷いました。
8月26日、2学期が始まって間もない日。隣の校舎の共用トイレの個室で起きた出来事でした。
ぼくを見つけて通報したのは、皮肉にも授業が始まっても教室に戻ってこないぼくを探した先生でも、担任でも学級委員でもなく、偶然トイレを使用したひとりの中等科教師でした。
授業に一人生徒が欠けていたところで、ましてぼくがいなかったところで、誰も気には止めてくれませんでした。誰も、気づいてくれませんでした。
持ち上がり2年目のぼくの新しいクラス。
ぼくは下級生相手に素直に積極的な交流ができるほど人間できていないし、彼らも彼らで突然転がり込んできた上級生を歓迎する生徒などいるはずもない。
遅刻を繰り返す素行不良とまで思われていたぼくは1、2年生の頃と同じ、毎日ひとりぼっちで生きていました。
体育でペアを組むときもひとり。毎日の昼食も、仲のよかった先輩が卒業してしまってからはひとり。放課後もひとり。調理実習や校外学習、学校行事でまでひとり。唯一生き甲斐を感じるときが、テストの席次返却のときでした。
それで思うような結果が出せていないと、その場で機嫌を損ねて受け取ったばかりのその半ピラのコピー用紙をゴミ箱に投げ込み、教室を去ることもありました。

いつからだろうか。「人に勝つこと」に執着するようになってしまったのは。何か人に勝ることがあったとして、それがぼくが人間的に優れていることにはならないのに。
夏休みが終わって、実力考査があって、勝ってたとしても負けてたとしてももうその結果を見るのも嫌で、もう勉強で勝ち負けの闘争に乗りたくなくて、でもそれ以外戦えるものなんてなにも持ってなくて。
その日、本当に精神が限界に達していたのでしょう。
実はぼくはその日薬を持って家を出た記憶も、その薬を学校に持ち込み一気飲みした記憶も、後で見返したスマホに残っていた大量の錠剤の写真を撮った記憶も、救急搬送された記憶も、手当てを受けた記憶もないのです。
だから、ぼくが自殺に走った動機は「ありません」。
人間、本当に精神が死んでしまうと無意識でぶっ飛んだことをやらかすんだなと心底思い返します。

ぼくは、こんな経験をしていてなお自殺が悪いことだと一概には言えません。
いま、年間80万もの人間が自ら死を選ぶといいます。
これは、戦争や殺人で亡くなる人間の数より圧倒的に多い数字です。ぼくのように失敗してしまった人も入れると、それこそ途方もない数になるでしょう。
そしてその数は未だ増加傾向にあります。

人生における不運や不条理に対して、どのラインが限界か、どこまで生命活動に耐えられるかというのもアイデンティティのひとつだと思うのです。

例えば安楽死
ここ何年、何十年と是非が叫ばれるテーマですが、ぼくはこれには反対です。「送り手の精神問題」があるからです。
この場合の「送り手」は、安楽死を遂行する医師やスタッフ、費用を負担したり、死を見届ける家族や周囲のすべての人間を指すと考えてもらって構いません。
とくに最後の一手を下した医師やスタッフは、よほどゴツい神経をしていない限り何人もの安楽死に連れ添ううち精神は病んでいってしまうでしょう。
しかし、それを解決する手段はもう安楽死しかありません。自らを苦しめてきた安楽死に最後を看取られることほど悔しいことはないでしょう。
それが何代にも渡って永久に解決されず続くのだから、医師のなり手が少なくなることは想像に難くありません。

安楽死が認められない以上、この世を放棄したい人間に残された道は自殺しかないのです。
ただ、死体を片付ける人間の精神の気遣いも忘れてはいけません。とくに夏、腐敗した亡骸を移送するのは自ら人を殺すまでではないにしてもつらいものがあると思います。
だからぼくは自殺の方法にODを選びました。それも、「劇薬」と呼ばれる薬が大量に手に入る立場でなければ実行していません。単なる抗鬱や睡眠薬で死ぬのが難しいと知っていたので、薬品名は伏せますがその薬がある程度溜まるまで毎日薬を我慢して200錠近くかき集めました。半年近くかかりました。
今思えば、半年薬を飲まずに生活してなんとかやれていたのだから、薬をちゃんと服用していればもっとうまく生きられたはず。どうしてそうしなかったのか。そうすれば、なにも死のうと思うこともなかったかもしれないのに。と思います。

けれど、仮に薬を毎日ちゃんと飲めていたとしても、その日が来たら死のうと思ったと思います。もし人生が毎日充実していたとしても。なんとなくですが、幸せなら幸せなまま、不幸ならそれ以上不幸になる前に死にたいのです。


.


2019.8.26がぼくの寿命だったのでしょう。
だから今死にたいかと言われたら……分かりません。