裸婦の目触れろ、白蝮踏め

安酒と薬にどっぷり漬かってラリりながら書いてるオナニー文章です

感傷中毒の患者

車窓から外を眺めながら大和朝倉ゆきの区間準急に揺られ、途中の某駅まで。
いつもの帰り道だ。
どこへ向かった帰りもここを通って帰る。
しかしその日は違った。
本町駅から発車してまもなく、夜の景色に浮かぶある施設の蛍光灯が、やけに眩しく見えていることに気がついたのだ。

大阪赤十字病院

ところどころブラインドで遮られた、そっけないただの蛍光灯。
白い天井が少しだけ窓枠に切り取られて見えている。
なかでは夜勤の医師や看護師たちがナースコールにあわただしく対応していることだろう。

そんな大きな総合病院。
そこがぼくにはユートピアのような、ガンダーラのような、魅惑的な場所に見えていたのだ。
そこかしこでナースコールが響き渡り、看護師たちの足音で病の囁きがかき消される。どこを向いても真っ白な壁と対峙させられる。

絶望した。
一刻も早く「病院」、とくに「入院病棟」「精神科」の呪縛から解き放たれたかった。
看護師との恋愛問題が解決されて、ようやくそれが叶ったように見えた。

なのに、大阪赤十字病院のその明かりがぼくの目の前にちかちかと灯り、こうこうと命を燃やすのだ。

これは憧れか?あこがれなのか?
またそこで暮らしたいという感情のあらわれなのか?
ともすれば、ぼくがいくら現状の家族や生活に不満があるとすれども、完全に病棟生活からは抜け出でられてないということになる。

もはやぼくにもわからない。
なぜこんなにもこの総合病院の蛍光灯がぼくの胸に残酷なまでの傷をつけるのか。
なぜこんなにもこの光がぼくを惹き付けるのか。

2年という長い年月を病棟で暮らしてきて、それに慣れ親しんでしまうことはごく自然なことだろう。
けれど、そこから解放されたところで普通「帰りたい」とまで思うだろうか?


ここまでうやむやに誤魔化してきたが、この際はっきり言ってしまおう。

ぼくは病院に帰りたい。
夜勤のスタッフの険しい表情を見て心のなかでエールを送ったり、治療にあたって心が折れてしまった時励ましてくれる看護師たちと接しているほうが、今家族に侮蔑されて「学費のためだけ」に実家暮らしを続けている今よりずっとずっといい。

そもそも、病院を「帰る場所」として認識していることが間違いなのだ。
病院は「行く場所」であり「帰る場所」ではない。けれどぼくにとってはもはや病院は、病棟は、ぼくを唯一あたたかく迎え入れてくれる楽園のような場所になっていた。

もうそろそろ、限界がきているのかもしれない。
つぎ病院で暮らすことになったら、もう社会には戻れない覚悟だ。つまり、死んでしまおうと思っている。けれど日に日に、ちゃくちゃくと病院への憧れは強くなっている。同時に、畏怖も強くなっていく。

車窓にはかならず大阪赤十字病院のビル窓がうつる。
ぼくはそこからどう目を背けて生きていけばよいのだろうか?