裸婦の目触れろ、白蝮踏め

安酒と薬にどっぷり漬かってラリりながら書いてるオナニー文章です

三種の神器

16日、診察で大学入試共通テストの合理的配慮を申請するための診断書を医師から受け取った。
その診断名は注意欠陥多動性障害(ADHD)……だけではなかった。
自分が今まで「これにだけは」と日々最低ラインとして見ていた、「アスペルガー症候群」が並んでいた。
ぼくは一瞬にして泣きそうになってしまった。精神科に通って3年、はじめての指摘だった。2年入院して今さら初めて診断されるものとは全く思っていなかったので、全くの無防備だった。
幸い、医師いわく「あなたはADHDと、合併した双極性障害の傾向が強く、アスペルガーはあまり目立った障害ではないが、申請用紙の文脈から入試センターが求める回答が‘発達障害区分’での配慮を志願する目的が強かったので、双極性障害による支障があまり強く押し出せなかった。細部へのこだわりの強さや空気を読もうとしすぎて空回りしてしまうところをとってアスペルガーと診断した。自信をもっての回答ではないので」と言ってもらえたが、診断書に書かれてしまったものはまごうことなき自分の障害である。

そこで今までのぼくのステータスに回帰してみる。
衝動性優位のADHD+言語理解高IQ、それに加えて今回のアスペルガーである。


……バケモンではないか。


言語理解能力が異常に高く言葉の裏の裏まで読んでしまう性格で、そのうえ他人の言っていることはよく理解しようとせず自分の我を押し通そうとするこだわりの強さ。加えてキレると何をしでかすかわからない衝動性。
これで何が怖いって、これがボーダー(境界性人格障害)から来ている症状ではないということなのだ。
ボーダーなら薬物療法やカウンセリングでなんとか治療していくことができる。その症状自体が病気だから。その人自体に悪意や他意は全くなくて、病気のせいでその人の人格が歪められていると思えば周囲の人間も我慢して付き合っていくことができる。
しかしぼくの場合は「言われたことを取り込み解釈すること」「その解釈を飛び越えて自分の我を押し通そうとすること」「限界を突破して強行手段にはしること」の担当分野がそれぞれ別々なので、薬で治療しようがない。カウンセリングを受けても2つめまではなんとかなっても、3つめの衝動性に関してはその場にならないとどうしようもない。暴れだしたらもう遅くて、事前に防ぎようもない。手がつけられないキチガイなのだ。
普段は「死にたい」としかいわないので「また言ってんなーこいつ」くらいに捉えられているが、油断すると突拍子もないところで不意なことをきっかけに実行してしまう。
去年の8月の未遂事件もそうだった。あれはたしか、前日まで書いていた体育のレポートに疲れて人生に絶望したという要因が大きかった。
当然人と関わることはできないし、仲良くもなれない。だからこの歳になって対等な友人と呼べる存在はただのひとりもいない。学校に通っていないのも大きな原因のひとつではあるが、幼少期「幼馴染」といえる子と共に通っていたソフトボールのクラブチームも、ハブられて小四で辞めた。
思えば昔から気がつけばなぜか周囲から距離をおかれていたり嫌われている傾向にあった。そのせいか、自分に珍しく寄ってきてくれる奇特な子にはかえってきつく当たってしまうこともあった。
中学の部活動は後輩が慕ってくれて楽しかったが、引退したらそれきりで、高校ではもうスポーツや趣味に励む気力さえ残っていなかった。
人に擦れていないので人生経験や貞操観念というものもうまく育たず、アルバイトも全てやめてそれでも実家を出たくていまは援助交際でちまちまと貯金をためている。
そのお金も衝動的に使ってしまうので、親は「金銭管理ができないから」とぼくを独立させようとはしない。
毒親のもとで育てられたニンゲンの亜種は、今日も明日も明後日も毒親に縛り付けられて、いつかニンゲンになれる日を望んで息をしている。もうニンゲンになどなれないと頭では分かっているのに。

神様はどうしてぼくみたいなドハズレを生み出したのだろうか?
ADHD+言語理解高IQ+アスペルガーなんて、普通の神経してたら考えつかないほどの仕打ちだ。きっと神様もお遊びで博打打ってつくったに違いない。

ところで最近、「完全自殺マニュアル」が手放せない。死のう死のうと思っていても、これを読むと怖くて死ねなくなるのだ。薬も用意できるし、首を吊る道具だってある。さっき言った衝動性さえついてくれれば、電車にはねられて憎い親を賠償金地獄にすることもできる。
けれどなぜかこれを読むと息が止まるのが、心臓が止まるのが怖くていつか自然に死ねる日も来てほしくなくなる。
「死のうと思えばこんなに簡単に死ねる。だから今日はとりあえず生きてみよう。それでだめなら明日死ねばいい」というようなコンセプトで書かれたはずのこの著書だが、ぼくには思わぬ抑止力となった。

さて、うまく生きることもできず死ぬこともできなくなってしまった。
明日はどんな不幸が待っているのだろう。もはや楽しみで仕方がない。