裸婦の目触れろ、白蝮踏め

安酒と薬にどっぷり漬かってラリりながら書いてるオナニー文章です

償い

さっきTwitterで、前世の業でもなければ法務技官なんて目指さないってぼくが言ってて、ふと改めてよく考えてみたんだけど、今まで将来何になりたいか聞かれて法務技官、刑務所や少年院の心理士っていうと「なんでそんな仕事したいの?」って毎回言われてて、毎度のことで正直めんどくさいからテキトーに「自分と違う正義感や倫理観を見ておきたいから」て言ってた。
だって似たような職種の弁護士とか警察って言う人には「かっこいいね~」で済むのに、犯罪者のカウンセリングがしたいって言うと異常者扱いで好奇の目で見られる。だからこの際はっきり説明しておくと、この説明は半分○で半分×。


ところで、改めてぼくの患ってる病気について少し触れておく。もうこのブログでは何度目だけど、ここを理解してない人にはこの先は何度読んでも絶対に理解できないから。

ひとつはADHD
日本語名称を注意欠陥多動性障害という。
症状はもう読んで字のごとくでもあるんだけど、Google検索よりTwitterの方がリアルかつ切実な体験談をネタ調に書いてくれている人が多いので笑い話で済ませておきたい方はTwitter検索。
啓発系・元気に生きよう系のハートフルユーザーは体験談もそれに附随するメッセージらしき文章もくそしょうもない、コメディアンだったら親がテレビとっくに捨ててるレベルの宗教型インチキ自己顕示ボーダー(知能検査にかけると発達障害当事者でもなく健常者レベルの知能があるでもないかわいそうな子)が9割8分。
単純明快そうに見えるメンヘラ界隈は多くが主体となる疾患が愛着障害やパーソナリティー障害であって発達障害を併発しているかはわかりづらいので、浪人界隈と呼ばれるグループに属する人のツイートを漁るのがおすすめです。
余談ですが、慣れてくるとそのユーザーがADHD持ちか健常者(ボーダー含む)かということも、薬を服用している用量まで当てられるようになるとかならないとか。

話が逸れたので戻そう。
所謂発達障害。先天性。後天的な「育ち」や「教育」では絶対にならない。
生まれ持った脳機能の障害で、根本的な治癒法はない。基本的には青か白のカプセル「ストラテラ」という薬で長期的に改善していく。重度の場合「コンサータ」という劇薬を使用する。この薬は精神科医の医師免許のほかに精神保健指定医といわれる特殊な登録を受けた医師のみが処方できる第一種向精神薬。現在は診断を受け処方箋を書く病院経由で診断書と個人情報の書類を役場だか保健所だかに提出し、許可申請が通ってからようやく処方される。
覚醒剤と名高いリタリンを体内でゆっくり押し出す構造のカプセルに詰めただけのお粗末と言えばお粗末な仕組みだが、これの困ったところは半日しか薬効が持たないところ。当然成分は覚醒剤と同じなので半日以上効かれると困るは困るのだが、朝飲むと夕方まで持たない。だから毎朝飲み続ける必要がある。一生。
しかし驚くべきところはそんなところではない。「飲み忘れる」のだ。しかもADHDでこの薬を処方されている多くの患者が。これがないと社会的死しか待っていないのに、やれ寝坊して昼を過ぎてしまったから(不眠になるため昼を回ったら原則飲めないよう指導される)だの、朝ごはん食べたらそのまま遊んでしまっただの、仕事が長引いてうっかり……だの、理由は各々考えて言い訳はするが、大体診察の度に主治医に叱られて帰ってくるだろう。
母親に「もうお願いやからコンサータだけは飲んで……お金払ってんねんで……?」とガチ泣きされたぼくが保証する。ちなみに薬価は1錠400円である。

そのADHDの障害に気づかず16年生きてきてしまったがために二次的に発症してしまったのが双極性障害。所謂「躁鬱」である。
これは後天的なもので、置かれている環境や生い立ちに関する記憶などがとても強く関与している。
「鬱」のときは、何を見聞きしても心が動かされず、何を食べても味がしない。人と話していても会話のテンポに脳がついていけずまったく面白くない。かといって外出する元気も体力もなく、飲みたくない薬を飲むためだけに嫌々でも食事がとれるならまだいいほうで、たいていは寝付くこともできずずっとただ寝転んで一日が終わる。

「躁」のときは、テンションが異様に上がり、眠れなくなり、落ち着きがなくなり、過食に走ったり逆に拒食に陥ったりする。(なんか食べなくても死なないので食べなくてもいいと思う)
一般には「鬱」のつらさが語られることが多いのであまり躁転期の苦痛は知られていない。しかし何をやってもうまくいく時期かというとまったくもってそうではなく、むしろテレビの音は飽きてうるさいつまらない、本を読もうとしても目が走って内容が頭に入ってこない、音楽も雑音にしか聞こえない、人と会話が成り立たないなど決してまともに社会生活を送れる状態ではない。

ただ、塞ぎこんで無気力で寝ているだけなら病状としては比較的心配ない。しかし怖いのが、「鬱から躁」に移るとき。
体が追い付かないまま気力だけ一気に回復してしまうのだ。異常なほどに。

だから、自殺する患者がとくに多いのがこの時期なのだ。

ぼくくらいの年齢で精神疾患を患ってしまうと寛解はかなり難しく、多くが老いるのを待たずに死んでしまうと聞く。

どちらにせよ人とコミュニケーションがとれるような状態ではないので、普通の人間関係の構築はまず不可能になる。


ここからがぼくの主張なのだが、犯罪者のうち思っている以上に多くの比率でそういう背景を背負っていることに誰にも気づかれないまま裁かれる人がいると思うのだ。
そういう人は大抵罪を犯している自覚がなかったり人を傷つけている感触を感じるボーダーラインが人と相違していたりするので、きっと再犯率も高い。
そういう人を心理調査で見つけ出して、健常者とはまた違った接し方で関わっていくことでその根本にある障害や問題を解決するように努める、それが社会の秩序を守る方法のひとつでもあり、自殺や心中などの誰も救われない結末を辿る人が減る結果にもなると思うのだ。

しかし、普通に接しているつもりなのにいつの間にかいさかいになっているこのもどかしさ、自分をわかってもらえない苛立ち、目の前の人間と理解しあえないと分かったときの絶望感は絶対に当事者にしかわからない。だから、精神疾患を持っている患者かどうかは話をよく聞いた医師か、同じ経験を持つ当事者同士にしか見抜けないはずなのだ。それこそ被告人の薬が捜索で出てきたとか、保険証の提出履歴に個人で「精神科」として看板を出している明らかな精神病院があったとか、明確な証拠がない限り。

その「明確な精神障害者」の処分はぼくらの支配領域ではない。面倒なので検察と裁判官に任せる。どうせ執行猶予がつくか悪くても3,4年で出てくるだろう。

ぼくが社会に更正させて送り出したいのは、それまでの人生で障害や疾患に気づかず診断も受けたことがなく、そんな病気知りもせず、もちろん自分がその病気の患者だなんて疑いもせず、ただみんなと同じようにまっすぐ生きたかっただけの、その方法を少しどこかで間違ってしまっただけの立派な人間だ。

刑務所や少年院で会った人間とはどれだけ仲良くなっても刑期が終われば別れが来るが、自分の体とは死ぬまで別れられない。
まだ家族や大切な人を殺されたことがないからこんなことが言えるのかもしれないが、ぼくは刑法が定めた刑期よりも長く罪を償い続けることを強いられるのには反対だ。出所しても個人的に現場を見舞って花を供えたりお詫びの挨拶をしに行って追い返されたりするのは自由だが、それはあくまで罪人本人の罪の意識から来る行動だから価値があるのであって、法で定められた刑以上の罰を誰かに命じられているのであればそれはその人の個人的な尺度であり、利己的な恨みだ。司法の名の下でそのようなことをしては、法のもとの平等が崩れてしまう。

だから、お務めを終えたらその罪からは解放されなければいけないと思うのだ。
なのに犯罪者だからと精神疾患を無視して、否定して無責任に社会に追放してしまうと、根本の問題が解決していないのだからそいつは必ず戻ってくる。人を殺して。物を盗んで。異性を犯して。
摘んでやらない限り、治らないのだ。彼らに必要なものは罰ではない。反省の時間でもない。治療だ。そうしない限り、彼らは永久に罪を償えない。

一部の障害者にとって、社会こそが監獄そのものなのだ。
迫害され、差別を受け、侮辱され、生きることを罪と捉えるようになる。そうなれば人の一生は簡単に罰になる。誰も傷つけていなくても、あるいはその罪を償い終えていても、死ぬまで十字架にかけられ続ける。


法務技官ひとりができることはほんのわずかかもしれない。グラフで見れば、犯罪件数なんて1ミリも減っていないかもしれない。でもこれは、生まれたときから終身刑にかけられているぼくが人に施せる唯一の善行なのだ。